SSブログ

脳とサッカーは線で繋がる? [ちょっとまじめな話]

最近読んだ本の中で、考えさせられるものがあった。

それは、茂木健一郎の『欲望する脳』。


欲望する脳 (集英社新書 418G)

欲望する脳 (集英社新書 418G)

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2007/11/16
  • メディア: 新書



実はこの本は、元上司(といっても役員の方だったのでポジションはあまりに離れていたが)が先日パリに来られた際にお土産として頂いた中の1冊だ。
本のお土産、しかもその人が読んだものの中で面白かったものを選りすぐってもらえるというのは何にも勝るプレゼントだ。

で、この本。
著者の茂木健一郎は日本にいるころテレビでよくみたし、脳学者という肩書でありながらソニーコンピュータサイエンス研究所所属というのが「いったい何者で、何している人なんだ?」という興味があった。

読み始めると、僕個人も興味があった対象について著者の独自の見解が綴られており、不思議な感覚すらした。
例えば、これまでもBlogで何度か触れた、孔子の「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。・・・」という論語の一説や、マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、利他的行動とゲーム理論の研究、等々。

たった1冊読んだだけだが、脳科学というものが人間の意識や欲望が如何に経済活動やその他様々な行動に影響を与えうるかということを研究している学問であることがわかった。
個人的な感覚では、少なくとも経済活動に関する分野では理論経済学と社会科学哲学の中葉に位置している学問というイメージかな。

こう書くとややこしそうだが、言っていることは結構面白い。
「なるほど、そうなのか!」という明快な結論がある類の本ではないが、作者の論点を通じて色々と考えさせられることが多かった。

大学時代の卒論を経営学ゼミでありながらカール・レモンド・ポパーの社会科学哲学について提出したこともあり、ポパーの言う第三世界の考えが、茂木氏の追い求める孔子の「七十にして心の欲する所に従って、矩を超えず。」 という境地(自分の欲望に従って行動しても人間としての倫理規範を逸脱することが無いという境地)に何かリンクするものがあるように感じてならない。

脳科学の存在意義でもある(と思われる)、「経済学における合理的経済人という前提と、実際の人間には大きな違いがあるのではないか?人間の意識や志向、欲望を加味した意思決定を前提とすると、理論経済学とは大きく異なった見解になるのではないか?」という問いについては、同じ思いを抱いているだけに違和感なく同意できた。

以前もBlogで書いたが、経済学的な「全ての人間が効用を最大化させるべく合理的に行動する。」という前提、それは理論経済学のみならず一般の経済学でも少なからず当てはめられる前提条件であるが、これに強い違和感を覚える。
人間の行動は時として刹那的だし、仮に人間の行動をそのように定義したとしても、確率統計ですら局地的なシーンでは普遍的な割合を生み出すとはどうしても思えないのだ。

例えば、サイコロを振って1が出る確率は6分の1というのはだれもが知るところだが、それは無限に降り続けたら限りなく6分の1に近づくという極めて数学的で特殊な前提状況のもとにしか成り立たないと思うのだが、どうだろう?
生きていく中で、例えばビジネスにおいても、1以外が5回連続で出た次の一投で1が出る確率は6文の1以上だと信じているし、何かが強く押せばそれを押し戻そうとする力が働くのではないだろうか。
数学的にはそれは総数が決まっている中でのみ起こりうる現象だが、地球の歴史から見た人の一生など一瞬の閃光に過ぎず、その一瞬の閃光の中の人生の一場面で普遍的な確率論を振りかざすというのは、むしろ思いっきり偏った見方にすら思える。
もちろん、これは数学を否定しているのではなく、人生の中の定性的な可能性についての希望的観測を込めた私見である。

ただ、この本の中盤で述べられている、「無機質なワンクリックで億単位の金額を動かすデイトレーダーは人間的な美しさや、意味が無い」という件については、最初「そうだよな」と思ったものの、数日して「はたしてそう言えるのだろうか?では、今の我々の日々の仕事と、脳学者としての学術研究と、デイトレーダーのクリックにどれほどの差異があるといえるのだろうか?」という疑問がわいてきた。
茂木氏は、デイトレーダーのクリックは投機であり、ゼロサムゲーム(誰かの儲けは単純に他の誰かの損)であり、それに躍起になっている様が「美しくない」ことをその原因の一つとして挙げているが、人間の購買行動や経済活動はそもそも物々交換から始まった1対1の等価交換であり、それを除いても現在のビジネスマンの仕事がデイトレーダーよりも美しいと胸を張れるのだろうか。

その事を強く自問するようになったのは、先日『プロジェクトX シリーズ黒四ダム』を見たからかも。


プロジェクトX シリーズ 黒四ダム

プロジェクトX シリーズ 黒四ダム

  • 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
  • メディア: DVD



ちなみに、何度も書いてますが、プロジェクトXの黒四ダムと青函トンネルと瀬戸大橋はビジネスマンの3種の神器です。

戦後の復興を担った昭和の先人たちの仕事には、いつも純粋に感動させられる。
テレビ番組ということを差し引いても、尊敬の念を感じずにはいられない。

その中で、上記3シリーズに出てきた若きプロジェクトリーダーや先導者たち(20代で国を左右するプロジェクトの一翼を担っているケースのなんと多いことか・・・)が次々に口にする、「後世の人たちに恥じない仕事をしよう」という言葉。

もちろん、時代的にまず社会的インフラを整備することが第一義であり、必然的に大仕事=物理的な大工事になりやすく、達成への道のりに肉体的な厳しさや精神的な強さが特に求められるという点が今と大きく違う。
そして、自分の仕事には恩恵を受ける何万何十万の同胞の未来が掛かっており、命を賭してやり遂げねばという目的意識が磨きあげられるも自然の成り行きかもしれない。

それでも、彼らの成し得た成果とその過程を目の当たりにして、今の自分のデスクワークが矮小なものに感じられて仕方がない。
マズローが言うように、生命の欲求と安全の欲求が満たされるにつれて、欲求がより複雑化・高度化してくことは社会的進化の証かもしれないが、今の自分にどれ程「後世の人たちに恥じない仕事をしよう」という熱意があるか。
そもそも、今の仕事は後世の人たちに評価されるベクトルに沿っているのだろうか。
また、彼らの大仕事に純粋な憧れを感じる一方で、もし自分がこの状況にいればこのプレッシャーに耐えて成功への道筋を見いだせたのだろうか・・・という焦りも感じる。

話がまたそれるが(こうやって逸れて行くのが日本的論法のビジネス上の非論理性につながるのだが、非ビジネスの分野ではこれこそが日本語の醍醐味なんだよな)、「後世の人たちに・・・」という視点は、如何にも自分の仕事を点ではなく時間軸上の線としてとらえているその発想を示していると思う。

この、点ではなく線でとらえる発想、これは何事にも非常に大切なことのように思う。
身の回りに氾濫する情報を有機的な線でつなげて理解する努力、時間軸を見据えて線で物事を把握すること、スポーツにおいても、優秀なバッターはボールを点ではなく線で迎えるように打つといわれるし、最近読んだこの本でも(同じく元上司からもらいました)それはサッカーの布陣にも言えることがわかって非常に興味深かった。


4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する (光文社新書 343)

4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する (光文社新書 343)

  • 作者: 杉山 茂樹
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 新書



サッカーは国際Aマッチを見るくらいだが、この本を読んで如何に布陣というシステムとそれを試合の中で組み立てる戦術、エースストライカーやファンタジスタという才能とシナジーを生むためのモチベーションを下げさせない展開作り、そして相手の布陣を考慮した相対的な布陣決定と過去からのトレンドを知り、サッカーへの興味が沸いたと共にまさにビジネスとも相通ずるものがあると感じ入った。

ここでも重要になるのは、点としての陣形配置ではなく、試合の中での線の動き。
特に、3バックは相手の2トップには極めて有効に機能するが、1トップにはモロいという説明には目から鱗だった。
つまり、2トップで相手が来ると、3トップのディフェンダーがそれぞのフォワードを挟み込む形で対応できるが、ワントップのセンターフォワードが来ると、読みで勝負するタイプのライン統率役のセンターバックがそれに相対するというミスマッチが起き、その結果サイドの二人がマッチアップに心配で中央に寄りがちになり、その結果サイドにスペースが空いて最も失点が起きがちな深いサイドアタックを招きがちになるというもの。
しかもセンターに寄った両サイドバックが間に相手のフォワードを挟む形になるため、極めて意思疎通が図りにくいらしい。
こうやって説明されると、日本が日韓共催のワールドカップでトルコにあっさりと負けたことや、ドイツワールドカップでオーストラリアに怒涛の逆転劇を演じられたことも、当然の成り行きだったように思われる。

で、閑話休題。
言いたいことは、理論的で多くの前提事項を必要とする経済学と極めて思想的観念的な哲学の間で中庸の真理を追い求める脳科学の方向性には、学問自体はまだまだ帰結に向けてたゆたっている感があるものの、多くの不確定要素を統計的に纏めていこうというその考え方に刺激を受けたことと、何事も線の視点が大事なんだということを再確認したということ。

だらだらと書いてしまったが、こんな記事読む人いるのか?(笑)

次回は、うってかわって先週末に行ったノートPC分解掃除ネタを書くので、そこのヲタクの方、大注目ですよ!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

Mon chefVAIO Type F 分解掃除 ブログトップ
free counters

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。