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誰がために・・・ [仕事]

ここ最近担当しているプロジェクトで2日間のワークショップを開催したりと忙しかったわけだが、そんな中で今部門全体の見直しを図っている。
キーとなる自分たち自身に対する質問は、「全員が相当ハードに働いているし、確かに見た目の成果はあるが、それが本当に顧客に価値を与えているのか?」というもの。
当然グループ本社である以上、顧客というのは各現地法人でありまた本社内の他部署でもある。

各自が相当パンパンなプロジェクト運営を必死にこなしている中で、「ちょっとまて、そもそも自分たちの作業に本当の意味はあるのか?」と問いかけるのは相当にタフなことだが、その本質的な質問から逃げずに議論する文化があるのは素晴らしいことだと思う。

当然どうしても自分たちだけではどうしても主観的な視点になってしまうため、第三者であるコンサル会社がその見極めをするという徹底のしようだ。
もちろんそれにはコストが絡むので、ここは賛否両論あるところだが。

しかし、世界的な金融コングロマリットの本社で働いているメリットというべきか、名だたるコンサル会社がエース級を貼り付けて日々分析・提案をしてくるので、放っておいても彼らのフレームワークや分析手法に触れることが出来る。
コンサル会社=机上の理論と決めつけてしまう向きもあるが、その頭脳とノウハウだけに時に数千万~億を超えるお金を払うだけあって、物事を効率的かつシンプルかつ効果的に突き詰めていく手法は学ぶべきところが多い。
ただ、ある程度のレベル以上になるとどんな新しい分野でも取り組むべき一定の方向性・アプローチは普遍的なものに近づくので、価値としてはフレームワークから持っている情報の希少性・即時性に移っていくわけだけど。

閑話休題。
常に自分は今この瞬間に付加価値を生み出しているのか?本当に本質的な価値があるのか?を自問し続けることは大事。
ともすればこれまでやってきた「業務量」に価値を求めがちだが、それが付加価値を生まないのであれば結局何の意味もないということを認める覚悟は常に必要だ。

先日ふと思ったのだが、特に金融機関といったサービス業に従事していると、頭ではわかっていながらこの視点がおろそかになりがちだ。
農業や漁業といった第一次産業で「俺は今日も海に出て、時化だし船はぼろいし大変な思いをしてきたんだ!」といくらいったところで、肝心の魚が捕れていないのであれば生計を立てることは出来ないわけだ。
でも不思議と会社の中では組織論やセクショナリズムや、俺は一生懸命やったんだといった自己暗示がまかり通ってしまう。
その危険性に気がつけるか、周りがそういった中で如何にそういった危険性に気がつけるかが、会社としてそしてまた個人としての将来を分けるんだと思う。

いつか読んだ本の中で見た、ある意味座右の銘とでも言うべき言葉があるのだが、「エリートとは高学歴の人間でも優秀な人間でもなく、自発的に組織に対する責任感を感じることのできる人のことをいう」というのは、まさにその通りだと思う。
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