SSブログ

原理原則 [ちょっとまじめな話]

入社以来営業、営業本部、マーケティングといったいわゆるオペレーショナルな業務を離れ、よく言えば戦略的、悪く言えば机上の理論に基づいて働くようになって早1年半が過ぎた。
この1年半は、出来て2年もしない部署で新たなプロジェクトを立ち上げて、その論理的根拠と目的意識を元に主要各国の任意参加を募って、多種多様なマーケット環境、ビジネスモデル、商慣習を踏まえながら抽象的コンセプトを具体化していくという作業に明け暮れた期間だった。
最初は何をどうして良いかもさっぱりわからなかったが、そういうサイクルを2回、3回と回していくうちに、だんだん物事の原理原則の見つけ方のかけらのような物がわかってきたように思う。

具体的には、各国との様々なミーティングの中で、これまでは色々各国独自のマーケット環境、規制や既に実施している戦略との問題点を元に「~だから今回の本社のプロジェクトの実現は難しい」と正面から言われてしまうと、ただ単に「たしかにそれはそうだよな・・・」と考え込んでそのまま会議が終わってしまうという事も多かったが、最近は「では、このプロジェクトで実現する・しないは別として、そもそもの出発点である顧客のこの部分に対する期待にどのように対応していくつもりですか?」といったような切り返しも出来るようになってきた。

現在置かれている環境が特殊だからと言って、本来なすべき事を二の次にしていい言い訳にはならないわけで、すぐ目の前の問題を持って「できないできない」と言うのではなく、そもそもの目的は何なのか、それを達成するために今最大限出来ることは何なのかという議論をしなければ前進的な方向性は生まれない。
こうやって書けば当たり前のようにしか聞こえないが、同じような経験をしている人なら共有できると思うけど、これが結構難しい。
特に日本人同士だとありがちな「そんなことお前に言われんでもわかっとるわ!」というような反応を生まないような言い方にも気を配らなければならない。

そんな視点を持って世の中のニュースを見ていると、原理原則が立ち消えになっているような話が多い気がしてならない。

例えば税金。
消費税を上げるか下げるか、世界的に見てかなり高止まりしている法人税の実効税率をどうするか、相続税をどうしていくのか、どうしても個別税制の中身の議論になりがちだが、問題はもっとシンプルな気がする。
つまり、社会保障費全体でいくら必要で、その財源を個人所得と法人所得からどういうルールで取るのか。
そのマクロ的視点さえあれば後はストックとフローからどの程度ずつ取るのかという話であって、消費税を何%どうするか、所得税の控除をどうするかという細分化した議論は順序が逆だと思うのだ。
もちろん国家レベルのことなので事はそんなに簡単でないという意見も尤もだが、国家レベルの複雑なことだからこそ国民誰もが聞いて理解できるレベルまで昇華させなければ、誰も何もわからない。

次に、選挙。
各政党ともマニフェストだ、ネガティブキャンペーンだ、小選挙区対策だと躍起になっていおり、日本の、はっきり言ってクソのようなマスコミが偏向報道を繰り返しているようだが、そもそも選挙の目的は国のために一生懸命制作を立案して実行してくれる人を国民の中から選び出すことのはずだ。

その本来目的を鑑みると、テレビやインターネットといったメディアが十分に発達して浮動票が極めて安易な方向に流れやすい今、遙か昔の社会環境に基づいた選挙制度が十分に効果を果たすとはとても思えない。
そもそも、昔の少しでもよりよい生活を求めた発展途上の時代と違い、今の日本は言うなればニートやフリーターですら生き延びることが難しくない社会であり、必然的に政治への本気の関心度は低い。
そういう層が「誰がなっても一緒だから、どうせだったら知ってる人でいいや」という発想で森田健作みたいなのに投票してしまうことはあまりに危険に思えてゾッとする。
また、各政党が政治的支持基盤の組織票をガッツリ抱えていることも本来趣旨からすると選挙制度の重大な問題点だろう。
そもそも公明党や今回衆院選に参戦してくる幸福実現党って、なんで政教分離について憲法違反にならないの?

また、比例代表区制や小選挙区制など、選び方は様々だが、どんな方法を採用しようとも、票のバラつき方によって不合理な現象が起こることがあり、完璧な選挙方法は存在しないことは、ノーベル経済学賞受賞の学者によって既に証明されている事実なのだ。

そう考えると、如何に真剣に国政のことを考え、またそのスキルがある人を選び出すかと考えると、例えば国民投票による結果と、客観的な第三者機関による候補者審査を組み合わせると言った方法や、国民投票についてもネット経由で構成に出来るような仕組みを作るといった事が必要なのではないだろうか。
小泉チルドレンが次期衆院選までの任期期間にほとんど誰も実績を上げれなかった比例代表区制の弊害や、タレント知事だけが連日取り上げられるような事態をどこかで是正しなければならないと思っている国民は多いはずなのに。

人生や世の中は色々と修辞されているが故にものすごく複雑なのだが、本来目的は極めてシンプルなんじゃないかと思う。
ケインズもアダムスミスも古代ギリシャの哲学者もカントもポパーも養老孟司ですら(?)、究極的なメッセージは「明日を今日よりよく生きるためにはどうしたいいだろうか」という気がしてならない。
もちろんそれを伝えるためには様々な外的因子や変動要素、現実的概念的、時代的思想的な要素を加味する必要があるため、内容やアプローチが時に理解できないほど複雑になってしまうわけだけど。

会社にも相当な負担をしてもらってまで海外で駐在員として働かせてもらっている以上、その恩返しとしてはそれ以上の貢献をしてく、率直に言えばマネジメント経験を通じて自分の経験を組織に伝えていくことが必要だと思うし、いざその立場になったら何を部下に伝えていくかを考えながら日々を過ごしていくべきだと思う。
そう言う意味で、常に本来目的を見失わない、どんな状況でも基本的な原理原則を捕まえられるような洞察力を少しでも磨いていきたい。

ギリシャでボケ~ッとしているように見えて(と言うか結果的にしてたけど)、結構そんなことを朝から晩まで真剣に考えてたりします。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

On the webEnvoi d'argent ブログトップ
free counters

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。