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2011年夏休み家族旅行@沖縄(3~5日目) [旅行]

沖縄に来る前は台風11号、12号がダブルで直撃するんじゃ無いかという予報もあったが、結果的に両方とも進路がそれて滞在中はほとんどピーカンのお天気続きだった。

3日目は美ら海水族館訪問を目指して、一路本島北西部へ。
午前中は水族館も混雑しているだろうと思い、まずはゆっくり水族館そばのエメラルドビーチで海水浴をすることに。
これがまた瀬底島に負けず劣らずの綺麗な海で、しかもやたらと空いている。

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ここでもパパとちび太は泳ぎ半分、海辺の生き物採集半分といった感じ。
ちょうど潮が引く時間にあたり、遊んでいるうちにどんどん磯の岩場が広がっていって、カニやらエビやら小魚までもとれた。
ラッキーと思ってちびコンビと岩場漁りをしていたのだが、これが後々あんな大変なことになるとは・・・。

前回の動きの少ない虫かごとうって変わって、今度は多種多様な海辺の生き物が捕れた。

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そしてここでも大量にいたなまこ。
多くは黒くてゴツゴツした種類で、すっかり慣れたちび子はなまこを拾ってはそのあたりに投げまくり(笑)
そしてちょっと違った種類のなまこを発見したので、ちょっと実験。
なまこは強く握ったりと刺激を与えると、内蔵をはき出して威嚇するのだ(大体北にいる種類は本当の腸をはき出して、南にいる種類はキュビエ器官というネバネバとまとわりつく糸状のものをはき出す)。

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ちなみになまこは内蔵をはき出してもすぐに復活するらしく、調べてみるとそのなまこの生命力を生かした化粧品も販売されているらしい。しかし、なまこ石鹸って・・・。
http://www.namaco.biz/

さて、ビーチでくたくたになるまで遊んだあとは、すぐそばの美ら海水族館へ。

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前から来てみたかったのだが、ここの売りのメイン水槽、黒潮の海のスケールは圧巻。
ジンベイザメやマンタが泳ぎ回る圧倒的な迫力は、ここでしか見れないかも。

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ただ、黒潮の海のインパクトが強すぎるせいか、終わってみると「あれ、こんなもん?」という気がしないでもなかった。

続いては歩いて10分ほどの距離にあるウミガメの館へ。
ここではアカウミガメ、アオウミガメ、タイマイがゆったりと泳ぎ回る姿を見ることができる。

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でもウミガメって産卵の時も涙を流すと言われるように何となく表情が寂しげで、体の大きさからすると小さめの水槽に入れられているのは、ちび太とちび子の目にもかわいそうに映ったらしく、旅行中ずっと「かわいそうだったね~」と言ってた。

そして、その夜・・・。
夜はホテルのバーベキューを食べていたのだが、食べている最中から日焼けのしすぎで真っ赤になった背中がジンジンし始めて、ついにはまともに座ってられなくなってしまった。
一足先に部屋に帰って水風呂に浸かるも、あまりの痛さに全身が軽いけいれん状態になるほど。
そこでふと思い出したのは・・・「うわ、これ2年前のギリシャと一緒やん・・・」ということだったのだが、ギリシャでは後先考えないフランス人のために薬局で売っている Apres Soleil なる日焼け後の痛み止めがばっちり効いて復活したのだが、ここ日本では後先考えない関西人のための薬はなし。
結局ベッドに仰向けで全く動けないまま妻に夜中に何度もぬれタオルを替えてもらうという、情けないことになってしまった。
一応薬が無いか電話で聞いてもらったホテルのフロントからは、「お子様ですか?」「あ、いえ、主人です」「え、そうですか(失笑)。どうしてもひどいようでしたら救急車も呼べますので」などという恥ずかしいやりとりもあり、大反省。

4日目。

一晩寝ると(痛みでまともに寝られなかったが)、何とか車での移動はできるくらいには復活。
この日は無理を押してでも出かけたかった先があるのだ。
それは、ひめゆりの塔。

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実際に塔や慰霊碑や第三外科壕を見て、さらに資料館で当時の様子を辿っていくと、想像を絶するほどの戦争の悲惨さが心に突き刺さるようだった。
自分よりも若い学生が、沖縄という戦略上の要地にいたがために自分の意志とは全く関係なく戦争に巻き込まれ、非日常的な従軍活動を強いられ、最後は砲弾が飛び交う中での強制解散により殺され、自決していったその生々しい記録を目にすると、命の危険無く家族幸せに生活していることが如何に有難いかを思い知らされる。

生き残った方達のインタビュー映像が流れていたのだが、皆さんそんな地獄のような環境で生き死にを経験したとは思えないほど穏やかな表情、語り口なのが逆に余計にリアリティをもって伝わってきた。
もう一つ印象に残ったのは、資料館の書きぶりが一貫して敵兵だったアメリカ軍に対する感情的な記載が少なく、逆に当時の日本政府や軍部の作戦とその実行方法に対する非難が中心だったこと。
これは1879年まで琉球藩として独立的な存在だったにも関わらず、そのたった半世紀後の第二次世界大戦で無謀な日本政府の始めた戦争のために本土の捨て石となった沖縄県民の深層心理にも繋がっているような気がした。
そんなひめゆりの塔を少し離れると、普通に米軍基地があり、町中にもアメリカ人の軍関係者の乗る車があふれているという現状は、ニュースで知るよりも実際訪れてみるとすごく微妙なバランスで成り立っているのが肌で感じるし、またそんなデリケートな部分を政争の具にした民主党には怒りを覚える。

そしてこの日の遅めの昼食は、那覇市内にある第一牧志公設市場へ。

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ここの売りはなんと言っても1階の市場で買った魚をそのまま2階の食堂で食べさせてくれるというところ。
折角なので沖縄らしいものをと言うことで、イラブチャー(アオブダイ)をチョイスし、2階へ。

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イラブチャーは半身はお刺身で、もう半身はあんかけでいただきました。

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味は・・・まあ、こんなもんかなという感じ(笑)

そして、楽しかった滞在はついに最終日、5日目に。

この日は少し早めにホテルをチェックアウトして、那覇市内へ。
レンタカーを返す前に目指したのは、世界遺産にも(遺跡が)登録されている、首里城。

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琉球国王が中国から冊封されていたというのは正直知らなかった。
そんな中国との繋がりの方が強かった琉球が、なぜ沖縄県として日本に組み入れられたのかは・・・興味がある人はWikipediaででも調べてみてください。

短くはあったけども毎日が充実していた今回の沖縄旅行、帰ってきてから家で飲んだのは2009年のギリシャ旅行で買ったギリシャワイン。
http://www.domainedereskos.gr/en/wines/domainedereskos1_1/

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ギリシャワインなのに確か30€を超える1本で、お店の人がものすごくおいしいとすすめてくれたのでこれまで飲む機会をうかがってきたのだが、開けてみると確かに旨い!
印象としては、一度だけ飲んだ1975年のラフィットを彷彿とさせたのだが・・・それは言い過ぎか?

思い出が詰まったものは、きっとそのもの以上においしく感じるんやろうね。
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