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ハケンの功罪 [ちょっとまじめな話]

金融危機が実体経済に影響を与え始めてから、日本で大きく騒がれている問題の一つが、派遣切りだ。
日本人感情から言って、人的リストラへの抵抗感と、年の瀬を前にした非情な通告が大きく報道されるポイントだったわけだが、少し客観的に考えてみたい。

そもそも人材派遣は、2004年の労働者派遣法の改正によって大きく広まった雇用形態なわけだが、大きな問題点は以下の二つだと思う。

一つは、それまで固定費だった人件費、しかも最もコストが掛かっていたものが、変動費としてとらえることが出来るようになってしまったこと。
変動費であると言うことは、つまり売上げの上下に応じてコントロールが効くようになったということ。
しかも後に改正はされたが、厚生年金やその他社会保障費も実質払わなくても良いという企業にとっては願ってもない方法だった。

もう一つは、変動費にしてしまったことで企業が仕事にあわせて人の増減をいつでも決められるようになったことだ。
固定費だった頃は、このコスト高の資源をどうやって有効活用しようかと仕事のプロセス改善を含めて頭を悩ませていた経営者が、簡単に季節業務併せて人を増やせるようになってしまった。
このことによる人的資源に関する経営的思考停止は、派遣切り問題が過ぎ去った後にボディーブローのように効いてくるような気がする。
もちろん、安易に登録できる派遣企業が出来たおかげで、仕事に対するモチベーションや向上意識を持ち辛くなったという労働者側への負のインパクトもある。

すべてが右肩上がりの企業成長とそれによる中短期の雇用創成を前提にした、人的資産に対するサブプライム問題とも言えるかもしれない。

ただ、今になってメディアは大騒ぎしているが、そもそも派遣とはそういうものであって、そのシステムを活用した企業が責められてその元になった法律を作って改正した政府の政策とそこに至る分析がお咎めなしというのも少し企業側がかわいそうかもしれない。
日本にいる間に見たニュースでは、経団連の新年会に抗議者が詰めかけて「政府は厚労省の講堂を派遣切りを受けた人に開放してくれたが、そもそも派遣を切った企業は何もしないのか!」と詰め寄っていたが、それは違うんじゃないの!と突っ込んでしまった。

外資系金融機関に入社してパリで働いている僕が言うのも変な気がするが、改めて思うのは日本企業の良さ(残念ながらかなり失われつつあるが)は、終身雇用や年功序列にも見て取れる企業が長期雇用をコミットする点と、それによって従業員が自発的に感じる会社への帰属意識であったと思う。
会社に大切にされていると感じることが自然にモチベーションにつながるのは、日本でもフランスでも本質的な違いはない。
アングロサクソン系の国になると、一番のモチベーションは報酬の額となってしまうんだが・・・。

じゃあ派遣法に対する解決策はあるのかというと、完全ではないがフランスのスタージュ制度は参考にすべき点が多いのではないかと思う。
スタージュとはいわゆる学生のインターンなのだが、フランスは実にこれが盛ん。
今働いているマーケティング部門でも、35人程度の規模に対してスタージュが5~6人はいる。
彼らは大学やビジネススクールに通っているのだが、大学のカリキュラムの一環として多くの場合6ヶ月の契約でいろいろな企業で働いているのだ。
日本で言うところの単位が付与されているし(しかも必修)、悪くない給料も払われる。
多くの学生は卒業までに複数の企業を経験した後、そのうちの一つに入社することが多い。

日本のインターンと何より違うのは、インターン中に行う仕事の質だろう。
もちろん権限は違うが、業務内容は他の正社員と遜色ない。
学生の側にも、採用する企業の側にも、半年間の社会勉強といった感覚は無く、必要であればプレゼンもするし各国とのテレコンにも参加する。
むしろ僕たち正社員の側からしても、データ分析のような作業であれば彼らの方が最新のマーケティングスキルを身につけているケースもあるし、モチベーションも高いので下手なコンサルよりも役立ったりする。
逆に違う部門とミーティングを持って、色々と議論を交わし、後から聞いて「え、彼スタージュだったの!?」みたいなこともたまにある。

同じ短期雇用を創成するのであっても、日本の派遣制度とは大きく違うやり方もあるわけだ。
もちろん、フランスのスタージュ制度はどちらかというと事前的で高学歴者向けの制度になってしまっているのでそのまま比較することは出来ないが、それでも日本でも是非実施すべき制度だと思う。

でも日本だといくら制度を整えても、かなりの学生がバイト感覚で雑用に使われてしまうんだろうなあ・・・。
年下の正社員が年上の派遣社員にタメ口で話すケースが多いというネット記事を読むと、色々考えさせられてしまう。

無題(タイトルがどうしても思いつかない・・・コピーライターには一生なれないな) [ちょっとまじめな話]

パリで生活していてもインターネットのおかげで日本の情報にはほぼ事欠かないのはありがたい限りなのだが、やっぱり辛いのが本の手に入りにくさだ。

もちろんAmazonで何でも買えるのだが、流石に何回も1万円以上の送料を出すわけにもいかない。
なのでどうしても一定周期で以前買った本を読み返すパターンになってしまう。

で、今読んでいるのはこちら。


虚像(メディア)の砦 (講談社文庫)

虚像(メディア)の砦 (講談社文庫)

  • 作者: 真山 仁
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 文庫



真山仁はハゲタカシリーズが有名で、IもIIも上下巻とも数回読み直した(かつ毎回面白い)程の完成度だが、この『虚像(メディア)の砦』もどうしてなかなか面白い。

ジャーナリズムの理想と現実の間で悩むディレクター、視聴率の帝王と呼ばれる同じ局内のバラエティ担当者、そして放送事業の監督官庁である総務省の担当官を軸に、オウム真理教による坂本弁護士殺害事件におけるTBSの存在意義や不安定な中東情勢における邦人誘拐事件における政府による情報操作の危険性などに鋭く切り込むその切り口の鮮やかさがすごい、というか単純に面白い。
(ちなみに全ての事件はフィクションとして置き換えられている)

特にテロ組織による邦人誘拐における自己責任論争の描き方は、如何に自分の知らないところで起こっている事件(つまり世の中のほぼ全ての出来事)を客観的に伝え、伝えられ、理解するかという難しさを如実に物語っている。

最近では、いわゆる田母神論文についてのシビリアンコントロールに関する報道がまさにそれだ。
正直田母神論文については、2-3回Blogで書こうとして、というか書き終えてアップしようとしたのだが、Blogという極めて個人的で自由なメディアを通じてすら自分の意見を表現することにためらいがあって、結局全部消してしまった。

実際に論文もネット上で読んだ上でだが、パリにいてネットだけを通じて情報収集してみても、相当自分の意見が様々なニュースやYou Tube上のニュース番組を見た後で変わっているのを痛感したからだ。
日本にいてテレビのニュースを通じて見たら、もう客観的な理解を持つことは不可能だろう。
もちろん総論と各論で意見も違うし、論文内で挙げられているエビデンスの無茶苦茶さがある一方で村山談話の継承についての疑問点も無くはないわけで・・・とりわけ、当初は一瞬の連立政権の暫定総理大臣が発した言葉に縛られる不条理さを感じた後に、総理大臣の談話は個人的な意見ではなく閣議決定を経た政府としての公式見解である(少なくとも手続き上は)ことを知りった後でまた思いが変わったり・・・いずれにしても、はっきりとこうだと言える言える意見にたどり着けない。
少なくともたった一つ、田母神論文の中のある一節、それは日本人が自虐的な歴史観に囚われ続けることは国際社会で日本人がリーダーシップを発揮するためにはマイナスだという点は、そこだけは多少共感できるわけだし。

一番大切なことは、こういう問題を白黒の視点で放送しようとするマスコミは決して客観的ではない・・・極論すると、ポパーが否定したように帰納法的なアプローチ(取材)では決して客観的真実にはたどり着けないというある種のゲーム理論的要素を自己矛盾として内包している存在であるということだ。

その一方で、ではマスコミに惑わされない意見を持てるかというと、それも無理。

結局何が大事かというと、先入観を持たずに物事を考える姿勢、そして他人の意見を聞くという心構えだと思う。

実は今まさに自分が仕事で直面しているのは、いわゆる社内のポリティカルイシューだったりする。
組織が大きくなるにつれて絶対に避けられないものではあるが、いつも思うのは、やはり先入観を持って個人的な感情で物事を処理しようとすればするほど結果的に大局的に損をするということ。
短期的には得をしても長くは絶対に続かないし、何よりそういう人と働く人たちが失うものお大きさは計り知れない。
かといって、そういう人を排除するために自分がポリティカルな動きをするのもすごく自己嫌悪を感じるし。

真山仁の小説が好きで高杉良の金融腐蝕列島をはじめとした作品が嫌いなのは(結局全部読んだけど)、きっと後者があまりにもそういった政治的な駆け引きにフォーカスしすぎてるからだろう。
あくまで会社の本業はお客様中心に考えられるべきであり、社内政治的に一見正義を貫くように見える内向的なヒロイズムではないはずだからだ。

話が飛ぶが、お客様や顧客を「客」と呼び捨てにするのはすごく嫌いだ。
別に神様だとは思わないが、そういうちょっとした心がけや気遣いに欠けるところから全ては始まっていくと思う。

ま、全ては一介のマーケティングマネージャーの戯れ言やけどねぇ。

ジェネラリストとスペシャリスト [ちょっとまじめな話]

組織と人の話になると、必ず話題に上るこの話、果たしてジェネラリストとスペシャリストはどちらがいいのか?という疑問。

フランスで働くようになって、たびたび驚かされるのは、それぞれのマネージャーの自立性の高さだ。
世界的なグループ企業である一方で、今所属しているマーケティングに入社してくる人は別業界からが多く、意外にもグループ内部の異動というのは少ない。

当然グループ外から、しかも他業界(といっても同じ金融業界というケースがほとんどだが)から来る人にとっては、いきなりプロジェクトマネージャーとしていくつかのプロジェクトをまとめるようにと言われても、無理だろう・・・と思っていたのだが、そうでもない。
どう見ても情報量も業界経験もまだまだ全然不足しているはずなのに、入社して1ヶ月足らずで自分のProjectを役員や各国のメンバーの前でプレゼンする人も少なくない。

そこで当然わいてくる疑問は、「経験って何なんだろう?」というもの。
日本だと新しいポジションに人を探しているときは、まず経験が重要項目にあがるのだが、果たしてそれでいいのだろうか?
正直、今はっきりと思うのは、少なくとも企画系・戦略系の仕事であれば、経験よりも”素頭の良さ”が圧倒的に重要だと思う。

昨日オフィス内を歩いているときに思いついたのが、この素頭と経験の関係って「鳥人間コンテスト」に似てるなってこと。

鳥人間コンテストにおける、中の人(こぐ人)が経験で、機体自体が素頭の良さだと思うのだ。
つまり、中の人がいくらこぐ力があっても、機体自体がショボかったら全然距離がでない・・・どころか飛び立った瞬間にバラバラになって落ちることがままあるわけだ。
経験が企画系・戦略系の仕事で生かされるのは、あくまでちゃんと飛ぶ機体が前提としてあってのもので、そういう状況ならこぐことで飛距離を伸ばせるわけだ。

素頭は正直伸ばせる部分と適正があると思うが、適正がある人でも常に使い続けないと(機体をメンテナンスしないと)すぐにダメになるし、毎年毎年の鳥人間コンテストに向けて新しい機体を作り続けないと(インプットを増やさないと)参加資格も得られない。

マッキンゼーがコンサルタントの条件に経験ではなく優秀さをあげているのは理解できるところだ。

企画系・戦略系の仕事に取っての素頭の良さとは、情報を体系的に整理して論理的に物事を考えられる能力だと思う。
突然新しい業界、ミッション、課題を目の当たりにしたときに、取り組み方の道筋が見えるかどうか、そしてその道筋をシンプルにわかりやすく人に伝えられるかが何より重要。

それこそが付加価値であり、従業員→管理職→役員→経営者とランクが上がるにつけて、付加価値の占める割合はどんどん増してくる。
日々の実務についてみれば、社長よりも役員、役員よりも管理職、管理職よりも従業員、時には派遣社員の方が詳しいわけで、だからこそ上のランクの人には下の人と違う視点で物事を捉えて整理する視点、すなわち付加価値が必要になってくるわけだ。
その点だけをとると、フランスは日本よりも遙かに体系的。
部下ができること・するべきこと、と上司でないとできないこと・できることが明確に分かれていて、オーバーラップがない。
日本のような担当課長・担当部長という謎の役職はないのだ。

もちろん、これは職種や業界によって異なってくるので、経験が一番重要になるような仕事も多くある。
でも、そんな中でも、ポジションによって付加価値やできること・するべきことは明確に分かれているべきだと思う。

そう考えると、意識の上では、昨日していた仕事・今日する仕事・明日するであろう仕事は意識の上では連続していながらも決して円にはなってはいけないのだとおもう。
昨日よりも今日はほんのわずかな付加価値をつけて、明日はもうすこしという、螺旋の意識が重要なんだろうな。

米国金融危機 [ちょっとまじめな話]

つい数時間前に、予定されていたAIGの資産売却方針が発表になった。
FRBから借りている金額と利子を考えると当然かもしれないが、思った以上にインパクトのある内容で正直驚いた。
特に、日本で営業している関連生損保は、AIGエジソン生命とAIGスター生命のみならずアリコジャパンまで売却の意向とは、これは日本の金融市場に与える影響は少なくない。

ここで改めて、今回の米国金融危機がどれくらい規模の大きなもので、日常生活にとってどんな影響があるのかを簡単に書いてみたい。
もちろん、経済学の専門家ではないので、かなりざっくりと書いているし、間違っている部分もあるかもしれないが。

まず、・・・どこから始めようかな。
というのも、経済の流れはすべてリンクしている大きな一筆書きのようなもので、いわゆる鶏が先か卵が先かという話になってしまう。
ではまずは日本のGDPから書いてみようかな。

日本のGDPは現時点で大体515兆円くらい。
ちなみに国家予算は約85兆円弱。
アメリカは規模的には日本の3倍弱くらいかな。

これだけでも色々話ができそうだけど、あえて飛ばして、そのアメリカのGDPを支えているのは、日本以上に個人消費が中心で、大体70%がそれに相当する。

ちなみに、GDPとは国内総生産の意味だけど、Wikipediaにもあるとおり、国内総生産とは一定期間のうちに国内で生み出された付加価値の総額。
付加価値とは企業活動の基本である、何かを仕入れてそれに価値を付加して最終的に商品・サービスを販売する、その価値のことを指す。
つまり、付加価値500兆円というのは、国内外から仕入れた原材料費と最終的に国内企業が得る売上高との差額ともいえる訳だ。

で、日本がその50%を個人消費に頼っているのに対して、アメリカは70%が個人消費に基づく。

その一方で、アメリカの貿易収支を見ると、これが赤字で約100兆円と大幅なマイナス。
日本は約12兆円の黒字で、中国は約20兆円の黒字(!)と言うことを考えると、とにかくアメリカはガンガン他国から輸入して、それを国内で大量消費していることがわかる。
まさに、消費大国なわけだ。

で、その個人消費を支えているものが何か、もっと簡単に言うとどうしてアメリカ人は個人でそんなにお金を使えるのかというと、これまでは右肩上がりの住宅価格がそれを支えていたというわけ。
どういうことかというと、たとえば20万ドルで買った住宅価格が30万ドルに上がると、日本では大体の人が「あ、ラッキー。このまま行けば将来高く売れるかも?」と内心気分よくなるだけなのに対して、アメリカ人住宅ローンを借り換えて、今の20万ドルに対してプラス10万ドルを現金として得る。
で、その10万ドルで何をするかというと、それで車を買ったり旅行をしたりする。
本当に日本人からしてみると全く理解できないのだが、今の仕事上各国での顧客アンケートの結果を見比べたりするとアメリカ人リスク許容度は頭一つ抜けている感がある。

そういった国民性とスキームを証券化しながら金融商品として仕立て上げたのがサブプライムなわけで、いかに高度な金融テクニックを駆使しようとも、末端のローン借入者が右肩上がりの住宅価格の高騰に頼り切って無謀なリスクをとり続けていることに代わりはなく、彼らがローンを払えなくなったり住宅価格の上昇が頭打ちになった時点でボトムアップで破綻することは当然と言えば当然なわけだ。

あれだけバブル崩壊後の日本の不良債権を、不動産は地価で評価するのではなくその不動産がもたらすキャッシュフローで評価しなければならないとこき下ろしたアメリカが、結果的にキャッシュフローではなく上昇している不動産価値に頼り切って破滅したというのは、何とも皮肉なことだ。
この点については、日本ももっと追求してもいいと思うけど。

こうやってマクロ的に考えると、世界中の貿易黒字を一手に引き受けてくれていた輸入大国アメリカが、その根幹となる個人消費が破綻することによって今度は世界中にマイナスインパクトを与えるであろうことは容易に想像がつく。

国際化が遅れている日本企業は既に国内市場が飽和状態になっているのを機に海外進出に乗り出したまさにその時に、安泰と思われた一番のお得意様のシャッターが突然閉まったようなものだ。

当然それによって計画の見直しや後に引けない投資済み費用(サンクコスト)が生じるだろう。
実際に昨日のニュースでは自動車メーカーのスズキが大幅な経営計画の修正を迫られていることが報じられていた。

この流れでどんどんドルが弱くなると、相対的に期待が集まるのがユーロな訳で。
でも、欧州中央銀行は「現時点で過度の期待がユーロに寄せられているが、ユーロの適正な通貨価値は対円130円くらいが妥当なはずだ。」と、先にユーロ過熱に釘を刺している。

しかし、個人的にはこれは困る!
なぜなら、今の給料はユーロベースでもらっているわけだが、計算の根拠となっているのがかなりの円安レートだからだ。
130円になってしまうと、どんなにがんばっても追いつけないくらいの円ベースでの減給になってしまう・・・。

アメリカの金融危機が、巡り巡って自分の給与にここまでダイレクトに影響してくると、危機感をリアルに感じずにはおれまへん(涙)

瞬殺 [ちょっとまじめな話]

明日の朝起きたらいったいどうなっているんだろう!?
リーマンブラザーズの破綻から始まって、メリルリンチのバンカメリカによる買収、そして今現在ほぼ瀕死状態に陥っているAIG。

流石に気になって会社を出る間際にBloombergで開始したばかりのNY証券取引所を見てみたが、AIGの株価は2ドルちょっと。
チャートで半年前を見ると70ドル近くをつけていたので、たった半年で市場価値としては90%以上が吹っ飛んだことになる。

おごれる平家久しからず、盛者必衰のことわりとは言うが、昔の時代の衰退は徐々に局地戦で負けが込んでいってゆっくりと沈んでいくと言うのに比べて、昨今の企業破綻はというとほぼ瞬殺だ。
こんな時に思い出すのは、あるたとえ話。

ある森の中に池があって、ある時水草が異常繁殖してどんどん池を覆ってしまった。
水草は毎日倍々に増えていき、池の半分を覆ったときに初めて池の生物達は問題に気がついて、このままでは酸欠してしまうと慌てふためいた。
さて、それは水草が池を覆い尽くす何日前だったでしょうか?

という話。

もちろん、毎日倍になるので全員が気づいたのは全て覆い尽くすたった一日前というわけだ。
そしてさらに付け加えると、5日前ですら水草は池の3%を占めているに過ぎないのである。

ここまで至る経緯は、誰が見ても破滅しか見えないサブプライムというスキームが止まらなかったこと、そして歯止めがきかなかった政府や経営者の問題は大きいにしても、事が起きたときの直滑降さがすごすぎる。

こういうときこそ国の実力が試されると思うのだが、そう思ってYoutubeに特集されている5人の自民党総裁候補の演説を見てみたが・・・こ、こりゃひどいな。

全員のプレゼンテーションの下手さ、政策の薄さ(「活力ある経済を取り戻し、10年以内に日本のGDPを18位から5位にします。」って、正直突っ込みどころが多すぎて泣きそうだ)、服装の地味さ(せめてスーツのサイジングやネクタイのカラーコーディネーションくらい気を遣って・・・)、全てにがっかりする。
そして多くの候補者が、「党員の皆様、党友の皆様、私が今回立候補しました○○と申します・・・」って、事実上の1党政権なのに、国民の皆様という呼びかけをしない感覚のズレにビックリするわ。

自民党総裁候補が「政治の信頼を取り戻して経済に活力を!」と訴えている同じ時間軸で経済が崩壊して政治への不信感が底の底に堕ちていくとは、なんと諸行無常なことだろうか・・・。

やっぱ辞めます [ちょっとまじめな話]

いや、アカンやろ・・・このタイミングでのまたもやの辞任。

パリからなので記者会見の模様が見れずネットで速報を見ただけだが、何とも理解に苦しむ。
夕方フランス人の上司とミーティングした際その合間に話をしたのだが、反応としてはこんな感じ。

僕「日本でたった今総理大臣が突然辞任を表明したらしいです。ちなみに総理大臣になってからは1年で、その前の総理大臣も1年だけ務めた後突然辞任したんです。」

上司「辞任の理由は?」

僕「それがよく分からないらしくて。」

上司「政策で大失敗したとか?」

僕「いや、政策という意味では辞任会見でこれまでの成果を主張したそうです。ただ、野党からの批判と支持率が下がってきたので辞めるみたいですね。」

上司「ええ!?フランスの政治家だったら、批判があるとそれが議論の元になってさらに自分の政策を主張する場ができるから、批判があればあるほど強くなるよ。それはそれでタフすぎてダメかもしれないけど。」

さすがに今回は日本人の自分ですらそう思うな。

そもそも、ねじれ国会の政治的混乱で国民に迷惑をかけただとか、支持率の低下ということを良く言うが、確かにガソリン価格の乱下向で実質的な混乱は確かにあったが、果たして政治的混乱を真剣にとらえている国民がどれほどいるか。
支持率だって内閣改造直後の各新聞社の調査結果が大きく異なっているところを見ると、決して国民の総意とは言い難い。

正直日本を離れて外から眺めていると、国民の薄い政治的関心をマスコミが必死にすくい取って声高に叫んでいるようにしか見えないなあ。
国民が真剣に自分の問題として政治をとらえる前に、マスコミが煽って当の総理大臣が自分であっさり辞任しちゃうって・・・ちょっと民度が低いというかおもんばかる謙虚な日本人魂というか・・・。
こういうことを続けると、ますます(というかもう限界的だが)政治に興味を失っていくだろうな。

フランスや他国の制度を知ると、日本の社会保障システムは医療にしても年金にしても素晴らしいものがあるし、悪化する経済環境があった中での失業率や治安を見ても、自慢していいくらいのものがあると思う。
あってはならないことではあるが、年金記録の紛失騒ぎにしても5,000万件といえば背筋が凍る気がするが、全記録を推測すると、年金受給者数が約5000万人で、それぞれが月ごとに支払いを行ってそれが約40年ほど続くわけだから、5,000万人×12ヵ月×40年=240億件、人によっては加入期間が40年未満だったりまだ受給していない人もいるからプラスマイナスがかなりあるとしても、まあ200億件くらいはきっとあるはずだ。
そうすると、5,000万件のエラーというのはせいぜい0.2%くらいじゃないの?
逆に言うと、99.8%は確認が取れているわけで、シックスシグマではσ値4.31だ(計算のためにシックスシグマ系のツールを見直してしまった)。
まあ、他にも色々問題はあるんだろうけど。

後期高齢者医療制度にしても、「極度に高齢化していく中で、今まで若い人の払った健康保険の財源で1割自己負担で病院に行き放題だった高齢者に少しでも自分達でもなんとかできるようにして欲しい」という至極もっともな発想の元で出来た制度なのに、これがマスコミを通すとすぐに「高齢者いじめ」「おばすて山的な政策」と超訳されてしまう。
もちろん制度の狭間で思いがけず負担が相当増えるような層もいるのだろうが、だからといってタダでさえ少ない若年層の保険料を使い続けていいと言うことにはならないはずだ。
このあたり、問題は政策自体じゃなくて伝え方および報道機関の問題も大きいはずなのに。

いずれにしても、国民からすると「はあ?何で?」という受け止め方をせざるを得ないドタバタ劇。
麻生さんもちょっと全体観に欠ける印象があるし、どうせなら小池百合子でもいいんじゃないかという気もするが。
WBC日本代表監督につけ、総裁選につけ、日本人は人を決めたりするのが苦手だからなあ。
しかも決めた人があっさり辞めちゃうし。

とにかく、外から見てると「長所がいっぱいある国なのに、自分で損してるなあ」とつくづく感じてしまう。
これこそ本当の、”モッタイナイ”。

あまぞん [ちょっとまじめな話]

先日新たにProject Managerにアサインされた新らしいProjectについて、知識の積み重ねをするべく久々にアマゾンでどっさり書籍を購入。
計30冊くらい買ったのだが、うち14冊は漫画だったりするのだが。
先日ブックオフで買った神の雫というワイン漫画の続きだが、あの後15巻を買ってみると話がもうなんというか、ちょっとイっちゃってる。
どうしてここまでになったのかを検証する意味でも(なんじゃそりゃ)購入してみることにした。

話を戻すと、残りの書籍はビジネス系。
コンサル系やプロジェクトマネジメント系が数冊と、残りはCRM系。
今度の新規Projectは最終目標としてはかなりグループにも影響がある大がかりなものを目指している。
PMはパリ本社とアメリカの現地法人の2人体制となるが、そのコンビを組む相手がどうやらマッキンゼーから転職してきたらしい。
明日の夜に初めてのビデオカンファレンスを持つのだが、最新の知識とロジックとフレームワークで引けをとらないようにと思ってのことだ。
とりあえずBlueprintを作るに当たっての今後半年間のワークプラントとキーとなる項目を洗い出して事前資料を作ったが、深掘りすればするほど業務量の広がりと他のProjectとの有機的な連携の必要性が改めて感じられ、こりゃ大仕事だなと思ったわけですよ。

でも、パリに来て半年、ようやくオペレーショナルに踏みこんだグループ肝いりの仕事に関われ、責任感を感じるとともにモチベーションも高まる。
同じようなレベルのProjectを成功裡にまとめ上げたチームメンバーの1人は、9月からのそのProjectのスピンオフとして立ち上がる新たなビジネスユニットに異動となった。
こういうキャリアプランがあり得るというのは、一時期日本でも流行った社内ベンチャーのような部分もあって面白い。
ただ、難しいのは今所属しているパリの本社はそれ自体はノンオペレーショナルカンパニーであり、あくまで収益を生み出してビジネスを実際に営んでいるのは各国の現地法人であるということ。
つまり、グループとしてのイニシアチブをとりながらも各国との関係をうまく築きあげなければならない。
アメリカと違ってトップダウンのビジネスモデルが少ないフランスでは、まさにこういった外交スキルが要となる。
この部分、日本的なやり方が通用しない場面も多々あるので、まだまだ勉強せねば。

話を再度戻して、Amazon.com。
久々に使ったけど、やっぱり買い物をしやすいし、適度にしつこくないくらいの購買誘導(この商品を買った人はこんなものも買っていますとか、セットで購入など)があり、日本でいうところの“おもてなし”を感じる作りはさすがだ。
一時期騒がれた(まだ流行ってる)、ロングテール理論の体現者でもあるわけだが、個人的にはネット企業としてみたときのアマゾンの強みはロングテールよりもこういったおもてなしのノウハウの蓄積ではないかと思う。
というのも、ロングテールを実現できる企業は、単にマニアックでマイナーな商品の在庫を大量に抱えられる規模のリアルな倉庫と流通経路を持った会社であり、長期間おいても劣化しない商品を扱う業界でもあり、ヴァーチャル企業の強みというよりかはリアルな規模の経済性の延長、自分で書いてみるとその本質的な矛盾点に改めて気づいたが、鏡写しした世界のような気がするからだ。

で、このユーザーエクスペリエンスやおもてなしの考えた方は、まさに金融業界にこれから求められていく要素の一つだろう。
そんなところが次のProjectの大きなポイントにもなってくる・・・と、まあこの辺にしておこうかな。
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Le premier anniversaire! [ちょっとまじめな話]

今日は娘の1歳の誕生日!
思えば去年の今日は長男と一緒に立ち会い出産をした訳だ。
その後の体重増加不良で入院をした上に舌癒着症の手術までしたことを思い出すと、感動もひとしお。
そう言えば、娘は人生の半分以上をパリで過ごしているのか。
こう書けばかっこいいが、息子の幼稚園のこともそうだが、親としては本当に複雑で大きな悩みだ。

さて、今日は昼過ぎに散歩をかねてセーヌ川向こうの日本食材店と韓国食材店へ。
久しぶりにベビーカーの後ろに長男が立てるスペースができる補助台を付けていったのだが、ちょうど長男が立っている板が歩く度に向こうずねに当たって痛い・・・。
何とか痛くない押し方は無いものかと色々試していると、家の裏の急な坂道で手が滑ってベビーカーを離してしまった。
幸い2~3メートル先の駐車している車にぶつかって止まり、娘にも怪我はなかったのだが、本当に危なく申し訳ないことをしてしまった。
・・・誕生日なのに、ごめん。
改めて、ちょっとした不注意が事故の元になると実感。
気をつけないと。

しばらく進むと、セーヌ川の川岸が何やら騒がしい。

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あ、そうか、今日はツール・ド・フランスの最終日で凱旋門にゴールする日だ。
どうやらもうすぐ選手団が通過する様子だったが、暑くて待ってられないので先に進むことに。
ちなみにこの道路、ダイアナ妃が交通事故で亡くなったのもこの道路です。

その後は買い物を終え、9キロの米袋とともに帰宅。
もちろん夜はささやかな家族での誕生日会。

メインは豚肉のスペアリブのリンゴ焼き(思いっきり親の希望)。

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でも、デザートはママ手作りのフルーツ満載タルト。

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子供たちはタルトがお気に入りのようで、たくさん食べてくれた。

でも、今日も娘をかまっていると、横で見ていたお兄ちゃんが泣き出してしまった。
その一方で、いつも大人気のお兄ちゃんから、今日は娘のための一日にしてあげたい想いもあって、難しい。

でも、再来週はその息子の3歳の誕生日。
もうプレゼントは決めているが、料理とケーキはどうしようかな?

雨雲、入道雲、ヒコーキ雲? [ちょっとまじめな話]

前からその存在は知っていたし気にはなっていたのだが、導入するインセンティブが働かないままになっていた。
が、ついにDL版を購入してインストールしてみました、ATOK2008プレミアム。

知っている人なら知っている、いわずとしれた日本語入力ソフトなのだが、Windowsには幸か不幸かMS-IMEというソフトが標準で入っているため、特に別途ソフトを購入する必要性を感じる場面は少ないかもしれない。
ただ、何となくネットを見ているときに、Microsoftが日本語IMEの開発環境を中国に移したという記事を見て、何ともいえない不快感を感じ、プチ不買運動の一環としてATOKを買ってみた。
いくら企業としての人件費や原価の問題があっても、その国の母国語を入力する唯一の専用ソフトを違う国で開発するというのは、いかがなものか。
まさに昨日の記事にも書いた以上に繊細なCustomers Preferenceに負の作用があるんではないですか。
まあ、単純にソニースタイルのポイントが余っていたというのもあるけど。

使用感はというと、まだ1日しか使っていないが、確かに変換効率はいい。
長文をタイプした後に変換をしてみても、文節や単語の誤変換というイライラは軽減されている気がする。
でも、驚いたのは付属ソフトの使い勝手の良さだ。

今回購入したのは、プレミアム版という付属の辞書や追加ソフトウェアがバンドルされているバージョンな訳だが、そのうちの辞書ソフトなどが便利だ。
ATOK2008の辞書ソフトを音にしたまま、日本語や英語にマウスカーソルを合わせると、その意味をポップアップ表示してくれるのだ。
さらに、個人としてはあまり使わないが、ネットの最新用語についてもはてな(Hatena)のサービスを利用して、最新の意味を表示してくれるという。
コレは自分のPCの中にある辞書ファイルを参照しているのではなく、ネットにある情報を瞬時に引用してきて表示しているわけだ。
まさに最近よく言われる、クラウドコンピューティングである。

クラウドとは英語で雲のことだが、クラウドコンピューティングとはソフトそのものではなくその裏にあるサーバー環境やインフラがそのソフトの差別化と競争力の鍵になっていることを指している。
例えば、検索をするときはGoogleを使っているし、写真の管理と日本にいる家族との共有には同じくGoogleのPicasa2を使っている。
さらに、あまり見ないけどGoogle Earthも非常に面白いソフトだ。

それらのソフトを使う理由は、ソフト自体の完成度もさることながら、そのレスポンスがきわめて良好だからという理由に他ならない。
例えばいくらいい検索結果を得られても、いくらバーチャル旅行を経験できても、一回の動作に10秒も20秒も待たされたら決して使いたいとは思わない。
ソフトの作り込みの良さを実感できるのは、意識しないくらいのレスポンス速度があってこそなのだ。

そのため、GoogleやMicrosoft、Yahooなどはサーバー設備のハードウェア投資に躍起になっている。
一昔前なら、サーバーはラックマウント型をとにかく積み重ねたり、ブレードと呼ばれるようなより設置利便性の高いものが目についたが、今やなんとコンテナ型が主流だという。
文字通り、貨車のコンテナにぎっしりサーバーを詰め込んで、冷却機能までも考慮した一つの固まりとしてコンテナごと納入するわけである。

大は小を兼ねていくのは経済学的には規模の経済性といわれるが、ネットビジネスのそれは単価コスト引き下げ要因になるのではなく(そもそもそれらのサービスのほとんどは一般消費者にとってはそもそもフリーサービスな訳だし)、直接提供サービスの質の向上につながるところが大きく性格を異にするところなのだろう。

で、ふと考える。
金融業界にも、クラウドフィナンシャルサービスはあるのかと。

世界規模での資産運用や、他国での商品やサービスの成功事例の共有など、ネット社会ほどの規模=強みという直接的な図式は成り立たないが、全くゼロではないだろう。
規制も税制も顧客志向もディストリビューション構成もマクロ経済も人口動態も違う中で、どこまで世界的な金融業界としての強みを発揮できるか。
今の仕事のコアになる思想でもあり、きわめて局地的にではあるが自分のProjectの中でその優位性を明らかにしつつあるものでもある。
そして、うちの会社が全世界に向けてこれからまさに発していくメッセージにも、その思想は貫かれている。

変に斜に構えず、会社のフィロソフィーを理解した上でお客様と真摯に向き合うことが何より大切。
もちろん、部署によっては顧客は従業員であり、代理店でもあるわけだ。
その雲が雨雲になってしまうのか、はたまた入道雲かヒコーキ雲なのかは、一人一人の仕事への姿勢の積み重ね次第だろう。

さて、ATOKの開発販売会社であるジャストシステム。
母親が徳島県出身ということもあり、徳島県に本社を置く企業として応援したいというの購入動機の一つになったことは間違いない。
他にはポカリスエットの大塚製薬なども有名だが、東京本社集中化の流れの中で地方に本社を持って日本全国で勝負している企業は、国としても大事にしていくべきだろう。

社会人としてのキャリアの後半には、自分にゆかりのある京都か徳島で、そういった企業もしくは自治体を支援するような仕事に是非関わってみたい。
できれば、フランスとの橋渡しになるような役割ができれば、きっと素晴らしいことだろう。

まだまだ一日一日が必死な身で言うのも何なんですけど。

小売店って本当に要らない? [ちょっとまじめな話]

先週は当初予定されていたエビアンでのミーティングが急遽キャンセルとなったため、なんだか肩透かしを食らったような気分だった。
とはいえ、既にプレゼンの準備は終えていたので業務量的に軽減があったわけでもなく、むしろその場でNext Stepsについての承認を得ようとしていただけに、ミーティングに代えてこれからどのように関係者の合意を取り付けるかが課題になってしまった。
ボードのメンバーはまさに世界中に散っているし、内容的にも単純ではないため、E-mailだけでやり取りするわけにもいかない。
やっぱり合意を得たり議論を交えたりするにはFace-to-Faceに勝るものはないのだ。

さて、それは来週以降に考えるとして、パリの街を歩いていて感じるのは、日本と比べてまだまだ小売店、専門店が多いと言うこと。
たとえばFromagerie(チーズ屋)やBoulangerie(パン屋)にしても、街中にたくさんの専門店を見かける。
もちろんスーパーマーケットも増えてきているのだが、だからと言ってそう言った小売店が閑散としている様子はあまり見かけない。
理由は、専門店には専門店の品揃えがあるし、何よりもそこでの買い物には会話があるからだろう。
フランス人はこの会話をとても大事にしている。
まあ、悪く言えばとにかくおしゃべり好きなだけなのかもしれないが・・・。

こちらに来て「ベビーシッターを頼むときって、どこでお願いするの?」と聞いてみると、ほとんどの場合「パン屋で聞けばいいのよ」と言われる。もしくは薬屋や美容院と言う人もいる。
つまり、そういった専門店の人は近くの住民と日々会話をしており、誰の家に何歳くらいの子供が何人いるか、どの学生がアルバイトを探しているのか、そういった地域情報を把握しているからと言うわけだ。

人間関係がよくないと言うパリですらそういう状況なので、地方に行けばなおさらだろう。

ビジネスとして考えると小売店や卸の存在はそれらに支払う中間マージンが消費者への価格に反映されて結果的に消費者にとってはマイナスになるということがよく言われ、DellやAmazonのダイレクトビジネスモデルの成功の大きな一因はそのデメリットを解消したからだというのは理解できる。

ただ、そこに価格以外の価値があるのであれば、存続する意味は十分にあるのだろう。
消費者の金銭的な価値以外の価値をどのように図って定量化するのか、まさにマーケティングとしても考えなければならないポイントだ。

じゃあその価値を決める内的・外的要因はどのようなものがあるのか、それをMECEでダブりなしモレなしで図示してみると結構面白い。
そして、それぞれの要素にできるだけ根拠のある数字を当てはめてみて市場予測をしてみる・・・まさにフェルミ推定なわけだけど、こういうトレーニングを休日の散歩中にも考えていくことが大事なのでしょう。

四川大地震 [ちょっとまじめな話]

四川大地震の発生から1週間が経過し、日本の国際緊急援助隊が撤収を始めたというニュースをネットで見た。
こちらではこういう時事ニュースが基本的にネット経由となるため(テレビはあるけどつけてない)、どうしてもリアリティを感じ辛いが、それでも大地震というと自分も体験した阪神大震災を思い出してぞっとする。

当時高校2年だった僕は京都の南の大阪との府境に住んでいた。
震源地の淡路からはかなり離れていたが、それでも団地の4階だったこともあり、揺れに揺れた。
今から13年前の1995年1月17日の早朝に阪神大震災が発生したとき、受験勉強(と言いつつも、ラジオ聞いたりしながらダラダラ夜更かししていた気もするが・・・)で寝たのがかなり遅かったのだが、それでも耳のすぐ下で工事をしているようなゴーーーッという地鳴りで目を覚ましたのを覚えている。

夢と現実がよくわからないままとにかく轟音が鳴り響き、「ん、なんだこの音?」と思った瞬間に、ドッカーンという爆弾が爆発するような音がして寝た姿勢のまま上に飛び上がるような衝撃を受けた。
その後は、もうわけもわからず部屋の左右の壁に転がってはぶつかり、まさに部屋を巨人にシェイクされているような感覚だった。
こうなると、今まで習った「机の下に隠れよう」などという行動はまったく不可能で、四つんばいになることすら無理だった。
あの時は直感的に「あ、これで死ぬんだな」と思ったほどだ。

後の発表では震度5だった(ちなみに震源地により近いはずの大阪は震度4で、地層の性質によってこの異常震域という現象は起こりえるらしい)のだが、どう考えてもそれ以上の震度だった気がする。

地震が去ってみると、思わず窓から他の団地の棟を見てみたが、倒れているような様子はなかった。
その後何回か余震があったが、特に連絡もなかったのでそのまま四条河原町経由で高槻にある高校へ登校することに。
確か家を出る前にもテレビを見たが、当時は災害情報の即時性が十分ではなく、神戸の町が全壊しているという情報は地震直後には流れていなかったように思う。
だからこそ登校したわけだが。

京阪電車にのって四条へ向かっていると、途中何度も余震で電車が止まる。
やっと四条についたと思ったら、阪急電車の四条駅で黒山の人だかり。
京都出町柳から大阪淀屋橋を結ぶ京阪電車と違って、京都から十三を経由して宝塚や三宮まで至る阪急が運行不能になるのは当然だ。

その後如何ともし難いので家に戻り、テレビをつけて神戸の惨状を目の当たりにしてびっくりしたのを覚えている。

こういう大地震が起きたこと自体は不幸以外の何者でもないのだが、その後の人々の振る舞いには日本人として誇れる部分がたくさんあるように思う。
一番の点は、倒壊した店や町で強盗や暴動が起きなかったということ。
これは日本人の「恥の文化」がなせる業だと思うし、日本人の倫理観を外国人に説明するときにはよくこの話をする。
もちろん、一方で被災地にソーセージを1本5,000円で売りに行くと言うバカもいたけど。

その後数年して神戸の町を阪神電車で通り過ぎた時、まだ芦屋近辺にはビニールシートで覆われた倒壊した住居が点在していたが、それでもほとんどの部分が急速に復旧していることに感動したのを記憶している。

中国もこれからの復旧が大変だし、北京オリンピックのあり方にも少なからず影響を与えるだろうが、これを機に日本と中国の関係が被災地を通じて少しでもいい方向に変わって行けたらと切に思う。

こちらで仕事をしていると、EU諸国の連携、国規模の経済としても個人レベルの親交としても、その強さを目の当たりにすると、ちょっとうらやましく感じることも多いから。

肘内障 [ちょっとまじめな話]

先週今週と連休が続いているのだが、今月21日~22日にかけて行われるボードミーティングで1時間プレゼンをするため、その準備と現行の仕事で忙しく、気分的にもイマイチ休日気分に浸れない。
一言で言ってしまえば切り替えが下手なのだが、どうしても仕事が気になってしまう。

でも、一歩街へ出ればパリは今初夏真っ盛りといった感じだ。
このところ毎日雲ひとつない青空だし、木々も青々と茂って、街ゆく人も皆半袖。
街中いたるところにあるカフェは面している道路にテーブルと椅子を並べて、みんな一日中食べたり飲んだり楽しんでる。

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家族で散歩に行く時はたまにカフェで食事するけど、この季節は最高に気持ちがいい。
早くボードミーティングを終えてスッキリしたいものだ。

ちなみに、そのミーティングはミネラルウォーターで有名なエビアンに各国から集まって2日間会議をするわけだが、当日パリからエビアンに行くには、シャルル・ド・ゴール空港から一度スイスのジュネーブに行って、そこから移動するらしい。
最初にチケットの案内をもらった時は間違いだと思ったが、国内に行くのに一度海外に出るなんて日本では考えられない経路だ。
ちなみに、電車で国内から行くと約5時間ほどかかるらしいので、飛行機の方が全然早い。

こういう場合、周りが全員フランス人だと「チケットとるから、スイス入国でビザがいるかどうか自分で調べてね。」と一人だけ追加作業が必要となる。
前回のインドと違って今回は在スイス日本大使館に問い合わせたところ短期滞在はビザ不要ということで、一安心。

当日どうなるかは、後日報告します。

さて、今日はひたすら反省の出来事が。

朝マルシェに行って、昼過ぎに帰って来て家で食事をして家族全員でくつろいでいたのだが、その時に下の娘(9ヵ月)をソファーで抱っこしながら一緒に遊んでいた。
横にいた長男がちょっかいを出してきたので、「お兄ちゃんめ、えいえい!」なんて言いながら娘の手を取ってパンチのポーズをしていたら、グキッという音が。
瞬間、強くやりすぎたかなと思ったのだが、そこから娘は大泣きして止まらない。
僕もショックで冷や汗が出たのだが、必死にネットで調べるとどうやら肘中障という症状のようだ。

そこから英語の通じる小児科を調べたのだが、今日は連休中とあってどこもつながらない。
結局15区にあるHôpital Necker-Enfants Malades (病気の子供たちのネッケル病院・・・ってすごい名前)という小児科が24時間急患を受け付けているというので、タクシーに乗って向かうことに。

娘は泣きつかれて寝てしまっていたのだが、夫婦で受付で症状を説明して先生に診てもらうとになった。
そこから先は僕と長男は入れなかったのだが、妻によると先生に事情を説明すると「ああ、よくあることなのよ。」と言われ、肘をクリっと曲げてコリッという音と共に元に戻してくれたらしい。
ネットで調べたとおりで、まさに肘中障だったようだ。
戻ってからは本人は全然何事もなかったのように元気に腕を動かしており、パパは心の底からホッとしたのでした。

ごめんね、ななちゃん!今後は気をつけるからね。

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脳とサッカーは線で繋がる? [ちょっとまじめな話]

最近読んだ本の中で、考えさせられるものがあった。

それは、茂木健一郎の『欲望する脳』。


欲望する脳 (集英社新書 418G)

欲望する脳 (集英社新書 418G)

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2007/11/16
  • メディア: 新書



実はこの本は、元上司(といっても役員の方だったのでポジションはあまりに離れていたが)が先日パリに来られた際にお土産として頂いた中の1冊だ。
本のお土産、しかもその人が読んだものの中で面白かったものを選りすぐってもらえるというのは何にも勝るプレゼントだ。

で、この本。
著者の茂木健一郎は日本にいるころテレビでよくみたし、脳学者という肩書でありながらソニーコンピュータサイエンス研究所所属というのが「いったい何者で、何している人なんだ?」という興味があった。

読み始めると、僕個人も興味があった対象について著者の独自の見解が綴られており、不思議な感覚すらした。
例えば、これまでもBlogで何度か触れた、孔子の「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。・・・」という論語の一説や、マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、利他的行動とゲーム理論の研究、等々。

たった1冊読んだだけだが、脳科学というものが人間の意識や欲望が如何に経済活動やその他様々な行動に影響を与えうるかということを研究している学問であることがわかった。
個人的な感覚では、少なくとも経済活動に関する分野では理論経済学と社会科学哲学の中葉に位置している学問というイメージかな。

こう書くとややこしそうだが、言っていることは結構面白い。
「なるほど、そうなのか!」という明快な結論がある類の本ではないが、作者の論点を通じて色々と考えさせられることが多かった。

大学時代の卒論を経営学ゼミでありながらカール・レモンド・ポパーの社会科学哲学について提出したこともあり、ポパーの言う第三世界の考えが、茂木氏の追い求める孔子の「七十にして心の欲する所に従って、矩を超えず。」 という境地(自分の欲望に従って行動しても人間としての倫理規範を逸脱することが無いという境地)に何かリンクするものがあるように感じてならない。

脳科学の存在意義でもある(と思われる)、「経済学における合理的経済人という前提と、実際の人間には大きな違いがあるのではないか?人間の意識や志向、欲望を加味した意思決定を前提とすると、理論経済学とは大きく異なった見解になるのではないか?」という問いについては、同じ思いを抱いているだけに違和感なく同意できた。

以前もBlogで書いたが、経済学的な「全ての人間が効用を最大化させるべく合理的に行動する。」という前提、それは理論経済学のみならず一般の経済学でも少なからず当てはめられる前提条件であるが、これに強い違和感を覚える。
人間の行動は時として刹那的だし、仮に人間の行動をそのように定義したとしても、確率統計ですら局地的なシーンでは普遍的な割合を生み出すとはどうしても思えないのだ。

例えば、サイコロを振って1が出る確率は6分の1というのはだれもが知るところだが、それは無限に降り続けたら限りなく6分の1に近づくという極めて数学的で特殊な前提状況のもとにしか成り立たないと思うのだが、どうだろう?
生きていく中で、例えばビジネスにおいても、1以外が5回連続で出た次の一投で1が出る確率は6文の1以上だと信じているし、何かが強く押せばそれを押し戻そうとする力が働くのではないだろうか。
数学的にはそれは総数が決まっている中でのみ起こりうる現象だが、地球の歴史から見た人の一生など一瞬の閃光に過ぎず、その一瞬の閃光の中の人生の一場面で普遍的な確率論を振りかざすというのは、むしろ思いっきり偏った見方にすら思える。
もちろん、これは数学を否定しているのではなく、人生の中の定性的な可能性についての希望的観測を込めた私見である。

ただ、この本の中盤で述べられている、「無機質なワンクリックで億単位の金額を動かすデイトレーダーは人間的な美しさや、意味が無い」という件については、最初「そうだよな」と思ったものの、数日して「はたしてそう言えるのだろうか?では、今の我々の日々の仕事と、脳学者としての学術研究と、デイトレーダーのクリックにどれほどの差異があるといえるのだろうか?」という疑問がわいてきた。
茂木氏は、デイトレーダーのクリックは投機であり、ゼロサムゲーム(誰かの儲けは単純に他の誰かの損)であり、それに躍起になっている様が「美しくない」ことをその原因の一つとして挙げているが、人間の購買行動や経済活動はそもそも物々交換から始まった1対1の等価交換であり、それを除いても現在のビジネスマンの仕事がデイトレーダーよりも美しいと胸を張れるのだろうか。

その事を強く自問するようになったのは、先日『プロジェクトX シリーズ黒四ダム』を見たからかも。


プロジェクトX シリーズ 黒四ダム

プロジェクトX シリーズ 黒四ダム

  • 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
  • メディア: DVD



ちなみに、何度も書いてますが、プロジェクトXの黒四ダムと青函トンネルと瀬戸大橋はビジネスマンの3種の神器です。

戦後の復興を担った昭和の先人たちの仕事には、いつも純粋に感動させられる。
テレビ番組ということを差し引いても、尊敬の念を感じずにはいられない。

その中で、上記3シリーズに出てきた若きプロジェクトリーダーや先導者たち(20代で国を左右するプロジェクトの一翼を担っているケースのなんと多いことか・・・)が次々に口にする、「後世の人たちに恥じない仕事をしよう」という言葉。

もちろん、時代的にまず社会的インフラを整備することが第一義であり、必然的に大仕事=物理的な大工事になりやすく、達成への道のりに肉体的な厳しさや精神的な強さが特に求められるという点が今と大きく違う。
そして、自分の仕事には恩恵を受ける何万何十万の同胞の未来が掛かっており、命を賭してやり遂げねばという目的意識が磨きあげられるも自然の成り行きかもしれない。

それでも、彼らの成し得た成果とその過程を目の当たりにして、今の自分のデスクワークが矮小なものに感じられて仕方がない。
マズローが言うように、生命の欲求と安全の欲求が満たされるにつれて、欲求がより複雑化・高度化してくことは社会的進化の証かもしれないが、今の自分にどれ程「後世の人たちに恥じない仕事をしよう」という熱意があるか。
そもそも、今の仕事は後世の人たちに評価されるベクトルに沿っているのだろうか。
また、彼らの大仕事に純粋な憧れを感じる一方で、もし自分がこの状況にいればこのプレッシャーに耐えて成功への道筋を見いだせたのだろうか・・・という焦りも感じる。

話がまたそれるが(こうやって逸れて行くのが日本的論法のビジネス上の非論理性につながるのだが、非ビジネスの分野ではこれこそが日本語の醍醐味なんだよな)、「後世の人たちに・・・」という視点は、如何にも自分の仕事を点ではなく時間軸上の線としてとらえているその発想を示していると思う。

この、点ではなく線でとらえる発想、これは何事にも非常に大切なことのように思う。
身の回りに氾濫する情報を有機的な線でつなげて理解する努力、時間軸を見据えて線で物事を把握すること、スポーツにおいても、優秀なバッターはボールを点ではなく線で迎えるように打つといわれるし、最近読んだこの本でも(同じく元上司からもらいました)それはサッカーの布陣にも言えることがわかって非常に興味深かった。


4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する (光文社新書 343)

4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する (光文社新書 343)

  • 作者: 杉山 茂樹
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 新書



サッカーは国際Aマッチを見るくらいだが、この本を読んで如何に布陣というシステムとそれを試合の中で組み立てる戦術、エースストライカーやファンタジスタという才能とシナジーを生むためのモチベーションを下げさせない展開作り、そして相手の布陣を考慮した相対的な布陣決定と過去からのトレンドを知り、サッカーへの興味が沸いたと共にまさにビジネスとも相通ずるものがあると感じ入った。

ここでも重要になるのは、点としての陣形配置ではなく、試合の中での線の動き。
特に、3バックは相手の2トップには極めて有効に機能するが、1トップにはモロいという説明には目から鱗だった。
つまり、2トップで相手が来ると、3トップのディフェンダーがそれぞのフォワードを挟み込む形で対応できるが、ワントップのセンターフォワードが来ると、読みで勝負するタイプのライン統率役のセンターバックがそれに相対するというミスマッチが起き、その結果サイドの二人がマッチアップに心配で中央に寄りがちになり、その結果サイドにスペースが空いて最も失点が起きがちな深いサイドアタックを招きがちになるというもの。
しかもセンターに寄った両サイドバックが間に相手のフォワードを挟む形になるため、極めて意思疎通が図りにくいらしい。
こうやって説明されると、日本が日韓共催のワールドカップでトルコにあっさりと負けたことや、ドイツワールドカップでオーストラリアに怒涛の逆転劇を演じられたことも、当然の成り行きだったように思われる。

で、閑話休題。
言いたいことは、理論的で多くの前提事項を必要とする経済学と極めて思想的観念的な哲学の間で中庸の真理を追い求める脳科学の方向性には、学問自体はまだまだ帰結に向けてたゆたっている感があるものの、多くの不確定要素を統計的に纏めていこうというその考え方に刺激を受けたことと、何事も線の視点が大事なんだということを再確認したということ。

だらだらと書いてしまったが、こんな記事読む人いるのか?(笑)

次回は、うってかわって先週末に行ったノートPC分解掃除ネタを書くので、そこのヲタクの方、大注目ですよ!

金融系小説総括 [ちょっとまじめな話]

ここ3週間程、家にいる時は読書に時間を充てることが多かった。
主に読んでいたのは金融系の小説。

久々に読後感想でも書いてみようかな。



金融腐蝕列島 (上) (角川文庫)

金融腐蝕列島 (上) (角川文庫)

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 文庫



金融腐蝕列島 (下) (角川文庫)

金融腐蝕列島 (下) (角川文庫)

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 文庫



呪縛〈上〉―金融腐蝕列島2 (角川文庫)

呪縛〈上〉―金融腐蝕列島2 (角川文庫)

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 文庫



呪縛〈下〉―金融腐蝕列島2 (角川文庫)

呪縛〈下〉―金融腐蝕列島2 (角川文庫)

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 文庫



小説 ザ・外資 (光文社文庫)

小説 ザ・外資 (光文社文庫)

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/11/08
  • メディア: 文庫



腐蝕生保 上巻

腐蝕生保 上巻

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/11/14
  • メディア: 単行本



腐蝕生保 下巻

腐蝕生保 下巻

  • 作者: 高杉 良
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/11/14
  • メディア: 単行本



ハゲタカ(上) (講談社文庫)

ハゲタカ(上) (講談社文庫)

  • 作者: 真山 仁
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/03/15
  • メディア: 文庫



ハゲタカ(下) (講談社文庫)

ハゲタカ(下) (講談社文庫)

  • 作者: 真山 仁
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/03/15
  • メディア: 文庫


高杉良の小説だが、金融腐蝕列島の上巻くらいまではおもしろかったのだが、正直全体的には食い足りない感が強い。
結局ストーリー展開としてはバブル崩壊や銀行・生保の内部の問題を背景に権力闘争や内部スキャンダルに主人公が立ち向かっていくというケースが多いのだが、肝心の金融機関の業務への踏み込みが浅いのだ。
一般的に読まれる小説であればこの程度でもよいのかもしれないが、金融機関に勤める身としてはいささか不十分な感は否めない。
それ以前に、話のほとんどは内部権力闘争に対抗する策の奔走に関するものであり、トレンディドラマで全員が恋愛ばっかりしていていて「それ以前に仕事せーよ!」と突っ込みたくなるのと同じ感想だ。
映画の評判が高かったのは覚えているが、それほどかな?というのが正直な感想だった。
ちょっと客観的な取材不足と、金融機関ならではの業務の小説への落とし込みが甘いんじゃないかな。
この内容であれば、舞台が銀行や生保である必要はなく、大手メーカーということにしてもあまり変わりがなかったのでは?と思えたのが残念なところだ。

そうはいっても7冊ほど一気に読んだわけなので、読み物としては悪いわけではないけど。

それと比べると、真山仁のハゲタカは面白かった。
上巻はインド行の飛行機の中で少しだけ読もうと思って読み始めたら、気づけば一気に読破してしまっていた。
おかげで機内でやるはずだった仕事の一部が未着手のままバンガロール着となってしまったけど・・・。

この面白さの元は上に書いた高杉良の本の寸評の裏返しであり、外資系ファンド・投資銀行ならではの業務内容と人間関係の描写のバランスが絶妙なのだ。
ストーリーの中では、本編に密接しながら実際に起きた金融関係の事件がうまく取り入れられており、取材力とストーリー構成力には感心させられた。

上記に上げたうちの何冊かは、いわゆる外資系企業の功罪に関する小説なわけだが、大学卒業以来結局ずっと外資で働いている自分の環境と置き換えると色々思うところがあった。
ただ、一つ言えるのは、外資系企業にもpros/consはたくさんあるが、マイナスイメージに繋がる多くの問題点は、外国人そのものにあるのではなく、その外国人と日本人スタッフの橋渡しをする日本人の権力者の問題であることが多い。
これは金融業界に限らず、外資系企業共通の課題だろう。

トップの外国人の戦略的思考や経営方針を実際に伝える彼らのマインドや仕事への情熱、責任感によって簡単にメッセージは脚色されてしまうし、日本人の悪い癖である「どうせ外人の言うことなんて」みたいな発想で日本人同士の村社会を保つ方向に流されやすいのが実情だろう。
いわば経営者以上に経営リテラシーが求められる階層なのだが、残念ながら今の未成熟な人材市場では「とりあえず英語ができる(英語"は"できる)という人が社外からヘッドハントされるというケースも多い。
これはパッと見機能しているように見えて、実は最悪のケースで、トップの外国人役員も下で情報を受ける日本自スタッフもどちらも不幸になるケースが如何に多いことか。

最近考えるのは、もしパリでの駐在を終えて日本に帰る頃は、外国人役員と日本人スタッフとの協業をよりシナジー生む形で橋渡ししなければ、ということ。
もちろん、小さな組織でもできれば自分が意思決定できるポジションに着きたいと思うし、これまでの経験を生かしてそういう責任を取るようにならければいけないとも思う。

そのために、今は少しでもフランス本国で意思決定をしているディレクター層とのミーティングや彼らへのプレゼンの機会を積極的に得て、経験を積むことが大事だろう。

その一方で、「海外赴任帰り」のような雰囲気を出さないように、日本との感覚のズレも最小限にしなければならない。
パリで働いたということはキャリアとしては意味のあるものだけど、感覚がフランス人化してしまってもダメだからな。

何事にもバランスが大事ということ。
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Still Of The Night [ちょっとまじめな話]

なんだかまだ気の流れは、京都盆地に降りた冬の冷気のように底冷えのする低空飛行だ。

まず、朝。
9時からのテレコンをしっかり準備するべく真っ暗なパリを朝早く出ると通勤途中でBlackberryに相手から、「急な家庭の事情で会社を休まざるを得ないのでリスケしたい」との連絡。
ま、それはもちろん仕方ないし、それならそれで別の仕事もできるので問題なし。

で、肉を食いたくない体調の日に限って、社食のメニューはすべて肉満載。
仕方なく鴨のローストをたのんで付け合わせのラタトゥイユを食べる。

その後仕事がいまいち乗り切らない感じで進み、8時頃退社。

週末に日本のカレーを作って、うどんと出汁の素を買っていたので、楽しみにしていたカレーうどん食うぞ~と帰ってきて玄関開けると、ちょっと変なにおい。
あ、カレー腐ってる。

コレクティブヒーティングで常に家じゅうが暖かいのはいいのだが、その副作用がモロにカレーを直撃。
仕方なくゴミ袋に入れようとしていると、鍋から腐ったカレーをこぼして床の絨毯に。

はぁ~、と思って絨毯を洗濯機にかけようとしていて、粉洗剤を落としてまき散らす。
これこそ、リアル「どんだけぇ~。」だ。

結局掃除機をかけて、晩飯はインスタントラーメン日清麺の達人を作ることに。
麺をゆでて、その熱湯でスープを作ろうと、浅いドンブリ(これしかなかった)に調味料を入れて熱湯を注いだら、余裕でハーフパイプのように湯が逆の手に着地。
ここで落としたら食うもんなくなるので、熱湯コマーシャルなら優勝もんのガマンで耐えしのぎ、無事ラーメン完成。
まあ、ラーメンは美味しかったので、よし。

しかし、なんだかな~。
ま、こんな時もありますわな。

その後風呂にぼーっとつかって、海外勤務が終わったら何したいかな~なんて考えてた。
特に意識せずに思ったのが、「あ~、営業してぇ~」ってこと。
そうなんだよな、やっぱりゴルフよりも野球なんですよ。
止まってるものを打って、決められた打数の中で如何に自分と戦うかというのよりも、攻守を替えながら1球勝負の駆け引きを続ける野球なんですよ、魅かれるのは。

といっても、一介の営業マンにまた戻るってことではない。
別に見下した言い方をしたわけではないが、折角パリに来て千載一遇の真にグローバルなマーケティングを経験しているわけだから、それを生かした営業をしていきたい。
となると、やっぱりBtoBビジネスなんだよな。
そして、商品をただ売るのではなく、“売れるしくみ”を売る仕事。
敢えてひらがなでしくみとしたのにも意味があるが、営業とは言いながらもこれはビジネスシステムの企画立案そして導入、維持管理、改善というサイクルフローに関わる仕事をしたいということだ。

こちらに来て、他の国の色々な報酬制度、ビジネスシステム、商慣習等を調べていくうちに、少しづつこれまで日本で疑問にすら思わなかったことが沸々と「あ、これ変だわ」と思い当たるようになってきた。
商品もそうだし、売り方もそうだし、コミッション制度にしてもそう。
別にそれが悪いわけではなく、日本では当たり前すぎて目的と実態の乖離に気付けなかったというだけなのだが。

突然ふと思ったが、なんか三国志の蜀の武将ってそのまま企業組織にも当てはめやすいな。
力押しで突破力のある張飛はリテール営業、武術にもたけながら戦略的思考も持ち合わせる関羽はBtoBビジネス、策を練らせれば右に出る者のいない諸葛亮は企画職、そしてカリスマとリーダーシップで組織を統括する劉備がマネジメント。
そこに若手のホープ的な超雲や相談役(顧問?)の黄忠がいたりと、まさに企業組織そのものじゃないですか。
だからこそ未だにビジネスマンに読まれ続けているのだが、方や義理と人情が多くを占めるオリエンタルな物語が未だに経営指南書として売れ続けていることにも日本文化や日本語の非論理性が垣間見える気がしないでもない。
なんだかんだ言って、結局誠意や精神力や気合いかよ!ってことなのだが、こうして気合いが欠落した状況になると、やっぱりそれが大事なんだよなと改めて気づくなあ。

とにかく、とりあえず明日の夕方に病院の予約が早まって取れたので行ってきます。


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共通テーマ:日記・雑感

ななちゃん [ちょっとまじめな話]

パリに来て1ヵ月と少し。
来る前には一番の心配だった5ヵ月の娘は、無事すくすくと育ち、体重もかなり増加してきたみたいだ。

いつもはどうしても2歳5ヵ月のお兄ちゃんが主役になってしまうが、みんながお兄ちゃんの相手をしている間ずっとベビーチェアに座ってニコニコしているななちゃん、本当に可愛い。

生まれて1ヵ月の間はミルクを嫌がるせいか全く体重が増えず、1ヵ月検診では出生体重とほとんど変わらない体重のままでそのまま検査入院。
検査では病気は見つからなかったものの体重不良は改善せず、悩んだ挙句に舌癒着症の手術を受けてみたり、出発日の1週間前になっても病院で怒られたりと、本当に心配した。

パリに来て、それまで医者から止められていたご飯もあげはじめると思いのほかよく食べるようになった。
日本では「ご飯をたくさん食べるのはミルクが足りていない証拠。炭水化物でおなかを膨らませるのではなく、栄養バランスのいいミルクをあげるように」と医者から言われていたが、当然昔粉ミルクがなかった時代は重湯で育てていたわけで、パリに来て定期的な診断のプレッシャーがなくなったのを機にあげてみたのだ。

もちろんミルクもできる限り飲ましているが、その甲斐あってか体重はどんどん増加。
体重計は船便の荷物の中にあるのでまだ届いていないが、見た目にも明らかに大きくなっている。
今日は久しぶりにお風呂に入れたけど、むしろムッチムチなくらいだ。

そして、一昨日妻と発見したのだが、下の歯がちょっと頭を出してきた。
本人はちょっとむず痒いのか、手を出したらそのちょっとした歯でガジガジ噛もうとする。

今までが心配だっただけに、何か最初の通過点のようなものを越えれたような気がする。
もちろんこれからも心配事は絶えないだろうが、まずは良かった。

いつもマイペースで、ニコニコ笑顔の絶えないななちゃん、これからもすくすくと大きく育ってね。


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年初に思う [ちょっとまじめな話]

さて、ちょっと真面目な話を。
その前に、元旦早々Blogばっかり書いてるとは・・・と思うかもしれないが、なんだか日本と違って1月1日なのに、特別な感じがしない。
もちろん特別な日ではあるけど、12月31日まで仕事して、また明日からも会社が始まるということもあり、日本のように街全体が正月モードに突入しているような感はない。
あと、もちろんだけど日本の民放局のように無理やり盛り上げようとするようなメディアもない。
なので、いい緊張感を持ったまま明日からの業務を再開できそうだ。

さて、そうはいっても日本人なので年初にあたって、一年の目標は考えてみたい。

今年は、3月の誕生日をもってついに30歳になる。
何だかんだ言ってるうちに、もうRandy Rhoadsよりも5年も長く生きてしまったのか。
20歳の成人の時は特に感慨もなく、成人式にも行かなかったのだが、何故か前々から30歳という節目には思うものがあった。
思えば社会人になった頃からだったように思うが、30歳までにはプライベートでは家庭の基礎を築いて、仕事面でも明確な目標設定を置いていた。
この自己評価だけは毎年厳しく考えて、30歳から逆算した現状に相当焦りを感じる時期もあった。
そういうこともあり、このままでは達成できないという思いから一度は退職も決意したわけだが、最終的には色々な縁のおかげもあり、なんとか目標としていたところにはギリギリ到達できそうだ。
プライベートでは、結婚をして2人の子供を授かったわけで、これは出来すぎというほかない。

それでも、現状に満足するかというと、正直そう思ったことはないかもしれない。
パリで働いているとは言っても、それ自体に価値があるのではなく、このキャリアを将来どのようにいかすのかを考えていかないと、無為に時間を過ごすことにもなりかねない。
一方で、英語とフランス語で働くということはまだまだチャレンジングな部分が多く、そんなことを考えている余裕があるわけでもない。
なので、仕事に追われている瞬間はその仕事に対するプレッシャーを感じ、帰宅途中にそれから一時的に解放されると、今度は自分自身の目標設定に対してプレッシャーを感じるということが多い。
でも、こういう緊張感ってむしろ好きだし、誰に強制されるわけでもなくそういう感覚を常に持っているということは、自分の性格のようなものなのだろう。

とはいえ、一応30歳という節目を迎えるにあたって、何かしらささやかな自分へのご褒美は考えてみようかな。
で、次は35歳の目標を目指す、と。

で、仕事の話をもう少し掘り下げると、3週間ほどが経過して、やっと今の仕事の醍醐味と困難さが分かるようになってきた。
今の会社は、それ自体が商品やサービスを顧客に提供して利益を得ているという事業体ではない。
その事業形態をフランス政府からも承認を得て、おそらく法人税等が一般会社と異なる取り扱いになっている。
そのため、今所属している組織の存在目的は、各国に存在しているその国の法人組織(entity)の事業を手助けすることに他ならない。

そのため、僕が所属するGlobal Marketingは各国から集めた情報等をもとに、世界横断的なビジネスのトレンドを調査し、それぞれの国がライフサイクルステージの中でどの様なマーケットポジショニングを占めていて、その中でどのようなチャネル構成、プロダクトミックス、収益構造を得ていて、その現状が全世界的なトレンドとその国の市場構造からするとどのような意味を持っているのかということを詳らかにし、他国の状況を元にした分析やGlobalなトレンドを元に次のステップへの戦略立案に対してより有益な情報を提供することこそが第一義的な存在価値となるわけだ。

そのためには、まず現状分析が必要となるわけだが、これには各国からの情報提供が必要不可欠となることは言うまでもない。
そして情報提供を呼び掛けるということは、彼らにとっての直接的な本業ではない作業負荷を強いるということに他ならない。
そして、そうやってもらった情報を分析した結果、ビジネスの方向性に少し問題があるのではという結論に達した場合は、それを伝えて、時には戦略修正を示唆しなければならない場合もある。
もちろん協調性と各国への配慮は必要だが、ここで二の足を踏んでしまっては、関係した人たちの努力がただの机上の理論に帰してしまう。
日本にいたときに感じていた、“実務から遠ざかる不安”を埋めるためにも、常にon the groundを意識していたい。

一人ひとりのProject Managerが自分のProjectをこういう状況の中で独立的にこなしていくことが要求されており、それこそが上司との面接でも言われた“Diplomatic Skillの重要性”だろう。

これを母国語以外でこなしていくのは、今体感しているよりももっと厳しい局面が次々に現れるだろう。
もちろん失敗も数多く経験してしまうだろうが、それでも、会社が僕をパリに住まわして、給料も出しているというその価値、価格に見合った仕事ができるように、善処したい。

まずは今の部署で実績に基づいたa certain level of recognitionを得ること、それが2008年前半の目標かな。


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ハイシャの理論 [ちょっとまじめな話]

週末はキツかった。
パンパンに腫れあがるし、痛み止めを飲んでも重~い痛みが取れないし。
寝ることもできずに苦しんだが、やっと日中は我慢できる程度にまで落ち着いてきた。
これが完全治癒すれば、晴れて全ての治療終了となるので、ちょっとした清々しさすら感じる今日この頃だ。

そういえば、手術を受ける前に高校の同級生で歯医者をやってる親友に相談したところ、彼の回答はこうだった。

「抜いた方がええかもしれんけど、俺なら抜かんかな。なにより、自分では絶対にやらないし、やるとしても口腔外科の専門の先生に執刀してもらうわ。患者心理って、例えば万が一麻痺が出てしまったら、歯医者がやったらその歯医者を責めるけど、専門の口腔外科の先生にやってもらって、それでも後遺症が残ってしまったら、まあ仕方ないっていう気持ちになるもんやし。」

確かに、それは言えてる。
自分のケースだって、腕が確かな口腔外科の専門の先生にやってもらえるからこそ決断したのであって、おそらく普通の街の歯科医院だったら抜かなかっただろう。

これってまさにブランドマーケティングのロイヤリティと同じ話で、「この会社の商品だったら買ってみよう」とか「この会社のサービスをずっと受け続けたい」というものと同じだ。
Awareness→Memory→Trial→Usage→Loyalty なんていうAMTULモデルなんていう言葉もあるが、実際Loyaltyを持ってもらうレベルに行くには、単にいい商品・サービスを作りました、コストパフォーマンスがいいですよ、なんていう作業だけでは到底たどり着けない。
R&D、製造、デザイン、物流、購買、財務、人事、法務、チャネル、広告・・・およそ全ての企業活動とそれに関わる従業員それぞれが同じビジョン、コーポレートフィロソフィを持たなければならない。

それは経営理念とも言えるものであり、本来その直下にあって上記の各業務を一気通貫する業務がマーケティングなのだと思う。
残念ながら、うちの会社を含めて多くの企業がマーケティングという名の部署で、商品のみ、戦略のみを担当しているというケースが多いと思うが、本当はマーケティングの意識は顧客と接する営業を中心とした全社員が持つべき意識、スキルなのではないかと思う。

それができれば、今はやりのCRMもとりたててイニシアチブ化することなく実践できるだろうし、自然と顧客創造型のビジネスモデルから顧客維持型のビジネスモデルへ推移していくのだと思う。

でも、実際には非常に難しい。
特に、金融業界は商品に形がないので、社内の部署一つとってもある商品に抱いているイメージは人それぞれということが往々にして起こりがちだ。

もし自分だったら、こういう意思決定をするべきだと思う、こんな組織改編をしてみたい、というシャドーボクシングは常に思い描いているし、自分の業務の中で変えれる部分は少しでも変えてみるようにしているが、こういう試行錯誤をこれからもずっと続けて行くんだろう。
でも、それこそが文系ビジネスマンの楽しみだったりするけど。

話は変わって、就労ビザ。
風雲急を告げる・・・って既にスケジュールは遅れがちだったわけだが、ここに来てちょっと前進の感あり。
今月末もしくは来月頭にフランスへ旅立つというプランが一気に現実味を帯びてきた感がある。

ただ、いざ現実味を帯びてくると、まだまだやらなければならない諸手続きが山積しているのに気づく。
転居手続きに、銀行口座の取りまとめ、加入している保険の切り替えに、年末調整、固定資産税とか住民税の手続きに、奨学金の手続き、子供の予防接種に、引越に、フランスの家の公共料金のアクティベーション、インターネット・電話回線の手続き・・・。

まあ、全部自分でやんなきゃだめなわけだけど、こういう緻密な事務手続き、苦手なんだよなぁ。


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エース [ちょっとまじめな話]

先週は遅くまで飲む日が続いた。

そのうち、火曜日は尊敬する大学時代のゼミの教授と、金曜日はつい最近まで有名Web企業のCEOをされていた方と飲んだのだが、すごく勉強になった。

話に上がったのは、広義の意味でどちらもリーダーシップ論や組織論と言えるものかもしれない。

ゼミの教授からは、先生もロンドン留学の経験があるのだが、言葉が違う環境で必死の思いで毎日を過ごしてきたことや、英語がうまくないという理由だけで辛い思いをしたことや、それを乗り越えて成功してきたことなどを実体験として伺った。
そして、特に外国で生活、仕事をしていく上では信念を持って、尖った生き方をするようにとのアドバイスを頂いた。
もちろんそのほかにも色々ご教示頂いた訳だが、その言葉が強く印象に残った。

学生時代はゼミナール委員という学部内でのゼミ代表のようなものを努めてはいたが、教授から見るとちょっとした問題児だったかもしれない。
でも今回、仕事上での少し良い報告ができ、初めて少しだけ胸を張って話が出来たように思う。
2件目に行ったドイツビールのBarでは、会話も楽しくビールもうまくて、楽しかったなあ。
今度はもっといい報告ができるようにがんばらねば。

金曜日の飲み会では、CEOとして働くには如何にヒューマンリソースマネジメントが必要かを聞くことができた。
組織を統括するとなると、そもそもの仕事だけではなく、というかむしろそれよりも部下の人事管理やモチベーション管理が非常に重要だということ。

そんな話を聞いているうちに、ふとここ1~2ヵ月抱えてきた悩みが氷解した気がした。
それは、パリへ行くにあたり、仕事が机上の取りまとめ業務中心になってしまうことへの不安だ。
本当はもっと顧客や代理店やチャネルと接して、新規ビジネスを推し進めるような仕事をしたいと思っているにも関わらず、どうしても日々のProject業務に漬かると、ドキュメント作成や社内調整といった内向的な仕事の比率が高まってしまう。
それがパリに行くと、おそらくもっと顕著になると思うと、憂鬱な気分になっていた。
パリへ行って働くということは人生において大きな経験になるだろうけど、自分のビジネスマンとしての将来にとって、この経験をどのように生かせるんだろうか。
同年代でバリバリに実務経験を積みまくってる人たちに、これで勝てるのだろうかと日々悩んでいた。

でも、仕事もそうだけど、人種も出身国もポジションも違う様々な人と仕事をすることは、将来絶対必要なヒューマンリソースマネジメントの貴重な経験になると思うと、ふっと開放的な気分になれた。

こんな簡単なことにすら気付かずに悩んでいたは、やっぱり最近アルゴリズムがかなり落ち込んでるような気がする。

で、今日見た日本シリーズ、日ハム対中日。
阪神がそこにいないのはショックだが、ダルビッシュと川上のエース同士の対決は見ごたえあった。
特に、9表のダルビッシュは圧巻の一言だった。
キャッチャーのサインに首を振って鬼気迫る表情でストレートの連投。
結果、タイロンウッズを空振り三振やもんな。
そのあとは、立浪を歩かせて中村と相対したわけだが、ここでは3-1の点差を考慮して慎重に変化球を織り交ぜながら最後は結果的に三振。

プライドをかけた個人勝負と、チームの勝利の両方に配慮した上での日本記録タイ13奪三振での完投勝利。
これぞエース、ええもん見せてもらいました。

企業で働くのとプロスポーツではもちろん全然違うけど、こういうシビレる投球、していきたいね。
しかし、今はモチベーションの谷間やから、向こうに行った後、一気にアゲて行けるかどうかちょっと不安だったりする。
その辺はまたこんど。


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差異、幸、賽。それは投げられたのか、投じたのか。それが重要。 [ちょっとまじめな話]

今日はいわゆる午前様の帰宅。
そして明日は8時前から会社でフランス語のレッスン。
宿題はまだしていない。
でもBlogを書いている。

何故だろう?
それは、とても気分がいいから。
それは直接的に、村上春樹のいうメタファーとして、そして形而上学的に、リアリスティックに。

今日は業界他社の仲間(年長者の方や社会人としての先輩であるけれど、あえてこう称したい)と飲んでいたから。
他社の方と飲むのは数週間ぶりだったが、やはり楽しいものだ。
社内の人と飲む時の多少なりともバイアスやフラストレーションを感じるといった事が全くない。
環境は違えど、同じような思いを胸に同じような境遇で同じような悩みをきっと共有しながら日々を過ごしているという、テレパシーにも似た共有感があるからだと想う。
こういうつながりは例え距離的に離れようと、ずっと大事にしていきたいものだ。

で、その帰りの電車の中で気分よくアルコールに満たされながら考えていたのは、今年は実に色々な事があったということ。
とあるProjectで粉骨砕身で働き、束の間の成功体験があり、その結果訪れた焦燥感で退職を決意し、自分の思いを超えた力で新たな機会を創造し、その間に新居を購入し、二人目の娘が生まれ、そして今フランスへ旅立とうとしている。
通常1年で経験する内容をはるかに凌駕している1年だった。
そしていいこともあれば、悪い、というか心配なこともある。
体調を崩して今週金曜日は精密検査を受けるし、親知らずは抜かれるし、生まれた娘は体重増加が心配だし、妻の父親も病状が心配だし。

改めて思うのは、これまでの僕の人生観にもつながること。
言葉で表すのは難しいし、これまで人に語ったことはないかもしれないけど、ずっといつも考えていること。

サイコロを振る。
1の出る確率は1/6。それは誰もが知っている。
でも、1が2回出た後の3回目に1が出る確率は決して6分の1ではない。
何かが偏るときは、必ずそれを押し戻す力が働く。
確率論はあくまで全体の総数が無限という過程を伴うものであって、それ自体が既に局地的な見方でしかない。
物事の総数は決まっているようなもの。
オリエンタルな考え方でいうと、それは因果応報であり、人間万事塞翁が馬なのだ。

大学時代、商学部でありながらどうしても確率統計論と理論経済が好きになれなかった。
それは、学問の前提がある種の均衡、それは僕にとって極めて特殊なケースにしか思えない、そういった整合性を前提として成り立っている、そういった整合性の上でしか成り立たない理論に思えたからだ。

そういう意味で、今年はいろんなプラマイがあった。
それは結果的に見ると、パリへ赴任できるということが人生にとって大きなプラスであり、そのプラスとバランスをとるために細かなマイナスが生じた、そんな印象を受ける。
僕は決して運命論者ではないが、そういった均衡を保とうとする力、人生の慣性の法則のようなものを感じずにはいられない。

そういう意味で考えると、天賦の才と自助努力のイメージを以下のようにとらえられる気がする。
つまり、一般の人のプラスとマイナスが+100と-100で人生の均衡が取れていると考えると、天賦の才を与えられた人、つまり天才は、既にその絶対値が+200と-200なのだろう。
その間を行きかうからこそ、天才と気狂いは紙一重と言えるのではないだろうか。

そして、秀才、つまり自助努力で生前に高められることと言えば、プラスとマイナスの均衡点を少しでもプラス偏重へずらすということ。
つまり、何の努力もしなければ±100で均衡する人生を、+100と-80で均衡させられるのが個人の自助努力なのではないかと思うのだ。
努力する人が必ず報われるとは限らないが、成功した人はすべからく努力した人であり、その人は結果として確実に+20を手にできる。
だからこそ人はがんばって、前向きに生きるべきなのだ。

予定調和と必然と、そして自分の意思。
何をすべきかは翻って、何を成し遂げたいかであり、その道筋をたどるのは地道な日々の積み重ねなんだろう。


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した、ベロ、たん [ちょっとまじめな話]

金曜日に、生後1ヵ月半の娘が舌癒着症の手術を受けた。
どうしても生後の体重増加が好転せず、病院や助産師さんから様々なアドバイスを受けたが、そこで紹介された、舌癒着症の手術を行っているある耳鼻科に妻と妻の母で話を聞いたところ、その効果に驚いたらしい。

舌癒着症といっても病気ではなく、ほとんどの日本人が持っている優性遺伝の症状とのこと。
ちなみに、優性遺伝というといい状態が遺伝するような誤解をされがちだが、次世代により効果が表れやすい遺伝のこと。
例えば、血液型のAOがA型になるのは、Oに対してAが優性だからだ。

で、話を戻して舌癒着症だが、実は小児科界からは効果が認められていないということで保険収載されていない手術、つまり自由診療(自費診療)となる。費用は約5万円。

肝心の手術は何をするのかというと、誰の口の中にもある、「上唇と前歯の上の歯茎の筋」と「下の裏側と下あごにつながっている筋」を切るというもの。
僕自身は正直手術の日まで半信半疑で、むやみに体にメスを入れるなんて絶対反対だったから妻とかなり言い合いにもなったけど、最後はその病院に来ていた症状が改善した人たちの話を妻から聞いて、しぶしぶ了承した。

手術自体は電気メスでちょっと切るだけなので数分で終わり、出血もほとんどない。
乳児なら綿にしみ込ませた麻酔でOKだが、12歳までの子供の場合は全身麻酔、大人は局部麻酔をするらしい。

そして術後はどうかというと、手術を受けた人の多くが「切った瞬間から顔色が明らかに良くなる」と言っていたそうだが、確かに顔色はすごく良くなった。
手足の冷たさもなくなり、ミルクの飲みも前とは違う気がする(手術直後から飲んでもよい)。

結果的に受けて良かったかどうかは体重増加を見て判断することになるが、何となく良くなるような気がする。
しかし、舌を切るだけで全身の症状が改善されるとは・・・。
個人的には、にわかに信じがたいのだが、保険収載されていない原因が舌癒着症による症状と術後改善される部分があまりに全身に多く関連していて医学的な証明が難しいからというのを聞くと、そういうこともあるのかも・・・と思う。
なにはともあれ、娘が無事成長しますように。

で、娘が舌を切ったその夜にパパが何をしてたかというと、同業他社の方に壮行会を開いてもらって焼肉屋で特上牛タン食べてました・・・ごめん。
もちろん娘の状況は逐一妻から聞いていたわけだが。

しかし、社内のみならず社外でこういった会を開いてもらえるというのは本当に有り難い(むしろ社外の方が多かったりする)。
業界内外を問わず、仕事内容を問わず、何か志を持って働いている者同士で集まって飲むのは本当に楽しいし、刺激になる。
お互い尊敬しながらも、負けないように意識しあって、まさに字の如く切磋琢磨していければこれほど素晴らしいことはないだろう。

とか言いながら、金曜日の会話は「いかに自分がヲタクか」見たいな負の自慢合戦だったが。


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Ave [ちょっとまじめな話]

何で今やねん!?って、そら誰もが思うやろ。
7月末の参院選惨敗後は根拠のない強さで続投を表明し、シドニーでインド洋上での海上自衛隊による給油活動の継続について「職を賭す」と発言したと思ったら、2日後に辞任。
どう考えても逆々の選択だ。

日本男児たるもの・・・なんて時代がかった言い方をするのもなんだが、やっぱり男は引き際が大事。
究極的には、潔く最期を迎えるために毎日の生を積み重ねているんだという意識は少なからず男の中にはあるはず。

しかし、引き際を間違えたこと自体は事実だが、かといって真に責任を取る道というのは身投げのような短絡的なヒロイズムの中には無い。
厳しい状況の中でもひたむきに、地道に目標を成し遂げるための努力を重ねることこそが唯一の方法なのではないだろうか。
でも、それもある一定の周りの理解が得られてこそ。
阿倍総理としては、総理を支える参謀との戦略共有と、一番重要である国民への説明に配慮が欠けていたと言わざるを得ないだろう。

正直、僕が不勉強なだけかもしれないが、最後の職を辞すると述べた海上自衛隊の給油活動が国際社会の中で如何に大切なものなのかがよくわからなかった。
それが参院選の大敗よりも乗り越えがたいものであるのかどうか、そのマグニチュードの大きさが理解できなかった。

また、自分の政策や政治信念以外の要素のおかげで政治家になれているという2世、3世議員のもろさが出たところもあるだろう。

しかし、農林水産省や厚生労働省の職員、特にキャリア組は大変だろうな・・・。

タイトルにも書いた、aveとは英語で歓迎や別れの挨拶という意味があるらしい。
Ave, Mr.Abe...


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吾唯足知 [ちょっとまじめな話]

最近、時間に追われてる気がする。

今日も、朝5時半過ぎ起き→シャワー(朝は必ずシャワーか風呂に入るのだ)→7時半前出社→10時までフランス語レッスン2時間→22時まで仕事→23時半帰宅→晩飯→今、みたいな流れなわけだが、この時間の無さは週3回のフランス語レッスンを始めた影響も大きい。

そんな中、通勤時間も少しでも有効活用したい。
朝は新聞を読みながら行くため、残るは帰宅途中の約50分。
この50分に「あれも読みたいし、これもやらなきゃ」という二兎を追うどころか四兎くらいになってそもそも全員見失ってます状態になってしまっている。
改めて通勤かばんの中を見てみると、仕事の資料、フランス語レッスン教材、NHKフランス語会話テキスト、NHKビジネス英会話テキスト、英文法テキスト、ビジネス書2冊・・・。
完全に「あれもこれもやらなければ」という意識が空転しとるがな~。

「Parisへ行って認められるためには今以上にスキルアップせなあかん」
「でもそれ以前にフランス語をある程度学ばんとそもそもビザ取得すらまずいんちゃうやろか」
「それ以前に英語すら完璧に話せるわけちゃうからもっと勉強せんと」
「それも大事やけど今の仕事をきっちりこなしてさらに他のチームメンバーのためにも将来の布石まで考えとかな・・・」
みたいな堂々巡りの思考に陥りがち。
でも、だからと言って切羽詰まった感があるわけではない。
時間を極限まで有効活用せねばーと思っているだけで、上にあげたどれもやってる間は全て違った楽しさがある。

休日は休日で、家事全般と子供との貴重な時間、ライブの練習にとやること満載。

でも、20代最後にこんな時間の過ごし方をすることができているのは、きっと幸せなんだと思う。
年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ、苦労は買ってでもしろ、と言うけど、なんとか両方できとります(あ、前者は今関係ないか 笑)。

きっと数年後には今経験していることが血となり肉となってくれるでしょう・・・って、これ以上肉が増えんようにせないかんけど。
To do list に本格的にダイエットも加えるとするかな・・・。


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Never 手段の目的化 [ちょっとまじめな話]

最近二人目が生まれたりフランスへのimmigrationの手続きが大変だったりで、現業をこなしながら特に考えもせず過ごしてきたが、夏季休暇を取って時間ができると、改めて手段が目的化してはダメだという思いが高まってきた。

自分は何のために今働いていて、そしてこれから何のためにParisへ行こうとしているのか。
家や家族の問題でリスクを取りながらも、日本にいては成し遂げられずParisへ行けば経験できることは何か。
そしてそれは今後の人生においてどのような意味を持つのか。

日々の仕事において、特に忙しい間は黙々と目の前の業務をこなしていくことは大変ではあるが、ある意味考える以前にやることがあるわけで、楽といえば楽だ。
でも、その目前の業務に頭を使いながらも、その業務を何のためにこなしていて、それは自分のキャリア、会社の業績、業界の構図にいったいどのような影響があるのか、またどのような影響を与えたいのかを常に意識しているのといないのとでは、日々得られる経験には雲泥の差が出るのだろう。
重要なのは「今何をしているか」ではなく、「自分が会社や社会の中で何を成し遂げたいのか、そしてそのために何をすべきで、今取り組んでいる業務はその目標に対してどのような意味合いを持つのか」ということを日々自問することが肝要ではないかと思う。

それは、決して仕事に限らず、人生においても同じことが言えるのではないかと思う。
最近、そんな意識がちょっと欠如していたのではないかと感じたので、自戒の念をこめて記したい。

社会の中で真に生産的に過ごせる時間には限りがあるので、与えられた仕事の意味を考えずに働くのではなく、常に大観を持って日々を過ごしたいもんだ。


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感動のご対面 [ちょっとまじめな話]

結構予定日を過ぎても兆候がなくて心配だったが・・・本日午前中ついに娘が誕生しました!
丁度今新居に帰宅した途端に疲れからか長男が昼寝に入ったので、久々のブログ更新をば。

朝四時半頃に病院へ行き、そこから約6時間ちょっとで感動の対面を果たせました。
寝ていたところを無理やり連れて行った長男も、病院のスタッフもびっくりするくらいグズらずに全部立会いができ、家族全員生まれた瞬間は感動しました。

家の購入、第二子の誕生、パリへの移住とイベント目白押しの2007年ですが、こういう変化が何よりの人生の楽しみです。

しかし自分が女の子のお父さんになるとは・・・
今から結婚式を考えただけで涙腺が・・・
その前に彼氏なんて連れてこられた日には!

何としても「パパ大好き」と言ってもらえるように頑張らねば!


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びじねすぶっく [ちょっとまじめな話]

かなり久しぶりのマイハウス帰還。
そして娘はまだ生まれず。
確かに予定日はまだ少し先だが、長男が2週間ほど早く生まれたのに比べると、少しのんびり屋なのかもしれない。
いずれにしても、楽しみ楽しみ。

妻の実家にいる間はPCの無い生活となるわけだが、それはそれで悪くないもんだ。
息子の寝顔をゆっくり見れるし、たまってる本も読み進む。
ここ3週間程で読んだ本と言えば、こんなところ。

逆転の競争戦略 第3版―競合企業の強みを弱みに変えるフレームワーク

逆転の競争戦略 第3版―競合企業の強みを弱みに変えるフレームワーク

  • 作者: 山田 英夫
  • 出版社/メーカー: 社会経済生産性本部
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本

今までのマーケティング戦略本が基本的にはリーダー企業の(もしくはリーダー企業になる)戦略について書かれていたのに対し、山田英夫の理論はチャレンジャーやフォロワー、ニッチャー企業が如何に後発優位を発揮してリーダー企業のシェアを逆転するかということに重点を置いている。
狭い視野と今の業界内にしか意識がいかなかったために、突然競争のルールを覆されて転落してしまうリーダー企業の多数のケーススタディは示唆に富む。

ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する

ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する

  • 作者: W・チャン・キム, レネ・モボルニュ
  • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
  • 発売日: 2005/06/21
  • メディア: 単行本

はい、そうです。いまさら読みました。
冒頭のシルクドソレイユの話ですでに食傷気味だったが頑張って読みました。
理論自体は、競合を見るのではなく新たな市場を創造してレッドオーシャンから抜け出そうという方法論であり、あくまで新市場を如何にして発見・開拓するかに軸足を置いているが、結局は現在の競合他社との戦略キャンバスの差別化がその手段であり、それであれば直接競合を狙い撃ちしていく山田英夫の競争理論の方が小気味良い。
しかも他社との差別化のキーとなる戦略キャンパスの横軸の各要素を選び出す理論は特に無いので、かなり後付け理論的な印象が否めない。
ただ、後半3分の1程は策定した戦略を如何に実行するかについて書かれており、むしろこの部分が参考になった。

経営参謀の発想法 (PHP文庫)

経営参謀の発想法 (PHP文庫)

  • 作者: 後 正武
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/07/01
  • メディア: 文庫

で、更にその戦略遂行と実践的な組織論を濃縮した様な一冊がこれ。
特にリーダーシップと組織論のパートが秀逸で、なぜ今日本企業が国際的な競合の中で厳しい立場に立たされているのか、それを打破するためには何が必要なのかが非常にわかりやすく解説されている。

戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ

戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ

  • 作者: 三枝 匡
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2002/09
  • メディア: 文庫

これはビジネス書としては、おそらくこれから何度も読み返すに違いないと確信した。
世にあるMBA系の理論やマーケティング手法を如何に実践の場で生かすかが、ほぼノンフィクションのケーススタディーに沿って展開される。
マーケティングに従事する人間には必携の一冊と言っても過言ではないと思う。
しかも、新刊はあとがきでちょっとした感動があるので、読むときは絶対に新刊を。

こんな本をマーカー片手に読んでみたが、どれにも共通しているのは、何かを成し遂げるために最終的に一番必要なのは、行動力と熱意であるということ。
ビジネスフレームワークはそれが空回りせずにできるだけギアにかみ合うようにするツールでしかない。
行動力と熱意は、いわばモチベーションであり、何のために働くかということに尽きるのではないだろうか。
ソフトバンクの北尾氏がそんな本を出していたかと思うが、その根源的な部分には国ごと、民族ごと、地域ごと、人ごとの違いがあるのだろう。
人それぞれ異なるモチベーションを、それぞれに高めて行って、如何ににチームとして事を成し遂げるか。
そして、関西人としてはそこに笑いのエッセンスを常に如何に加えていくか(もしかすると、笑うことこそが最大のモチベーションなのかもしれないし)は、永遠の課題だろう。

よし、その引き出しを増やすために今からYoutubeで漫才見よう。


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党首討論に見るリーダーシップ考察 [ちょっとまじめな話]

今日は久々に妻の実家ではなく我がローンまみれの新居へ帰宅。
で、テレビをつけると、参院選の公示に合わせて党首討論が。

どうしても話題は年金問題になるのだが、お互いの主義主張があまりロジカルには感じられない。
なぜかと考えると、それはそれぞれの党が相手の党の考える年金制度に対して矛盾を指摘していくのではなく、「いやいや、自分たちはこんな制度にしますよ」という議論の応酬だからだ。
これではディベートではなく、自己主張合戦だ。
新党日本(だったっけか?まあ、究極のマイノリティなので党名なんて知らんけど)の田中さんなんて、社会保険庁が独立行政法人化することによって今いる公務員の給料が税金から拠出されたままで10%アップになってさらに年金財政を圧迫する、なんて発言をしていたが、これはナンセンス。
そもそも、年金問題は人口比率問題であって、しかも社会保障費20兆円の中での国家公務員の給与総額は確か5.7兆円程度のはず。
そのうちのわずかな社会保険庁の職員の給与が10%上がったからと言って、年金財政には何の影響もないはずだ。
いわゆる、これは「ケタ間違い」の議論だ。
同じような間違いとしては、「年金財政を健全化するために出生率を上げるための施策を考える」というのがある。
人生80年とすると単純割しても0歳児の比率は80分の1であり、その出生率が1.32から1.35に上がったとしても全体への影響はほぼゼロだ。
まあ、だからと言って社会保険庁の職員が責任の所在を不明瞭にしたまま給与アップするのは納得感はゼロだけど。
ただ、特に中央省庁に勤める公務員はワイドショーが吹聴するほど楽な仕事ではなく、むしろ激務薄給の厳しい世界だ。
なので、今までの戒めを胸に決意新たに業務に取り組んでもらえるなら10%アップもやむなしかな~なんて思うのは、あまりに性善説主義すぎるのだろうか。

閑話休題。
党首討論を見て改めて考えさせられたのは、「リーダーシップってなんだろう?」ということ。
これについて、最近読んだ後 正武氏の本で非常に明快な解説がなされていたので、ちょっと紹介。

リーダーシップと一言に言っても、そこにはいくつかの型が存在する。
それは、正当性を主張して人を引っ張っていくための根拠を何に求めるかで分類ができるというもの。
後氏によると、大きく分けて制度型リーダーシップ、人間関係型リーダーシップ、技術型リーダーシップ、ビジョン型リーダーシップがあるという。

制度型リーダーシップとは、組織の持つ権限と機能(役員、部長、課長等)に従って、効率的に組織目的の達成を目指すタイプのもの。
訓練の生き届いた組織では秩序を保つ力が強いが、制度に根拠を置くがゆえに制度そのものを自己否定するような改革には不向き。

人間関係型リーダーシップとは、「この人についていきたい」と思わせるようなタイプ。
これはリーダーの下にいる個人の能力を自発的に発揮させるという点に強みがあるが、「あの人のためなら」という姿勢はあるものの「何をどうするか」についての認識が一致しないケースも多い。いわゆる、笛吹けど踊らず状態になってしまう弱点がある。

従来の終身雇用&年功序列を基本とする日本の企業制度においては、制度型と人間関係型の中間型リーダーシップが一番多い。
ただ、高度成長が終わってバブル崩壊を迎え、景気が上向いてきたとはいえ抜本的な組織改革・ビジネスモデルの変更が求められる今において、新しい視点や価値観で物事を取られるには、組織の力に頼った叱咤激励や人間的信頼だけで突破していくのはあまりに無理があるのは自明だろう。

そこで求められるのが、技術型リーダーシップと、ビジョン型リーダーシップ。

技術型リーダーシップとは、正当性の根拠を理性による理解と工夫、論理的な論法に求めるタイプ。
ただ、この技術型も理論だけでは単なる批評家に終わってしまうため、実行力に欠けるリスクがある。

そこで、ビジョン型。
多少強引でも自分の信念と熱意を持って一点突破して周りを引っ張っていくタイプがこれ。
これも、登場する時期が間違うとただの自己中心的な存在になってしまう可能性がある。

で、ここからが面白いのが、どれがよくてどれが悪いということではないということ。
組織や事業のライフサイクルにおいて、それぞれが求められることになる。

たとえば、郵政民営化を軸とした小泉内閣では、小泉総理は勿論ビジョン型で、その下に竹中平蔵が技術型としてサポートし、青木幹事長が人間関係型、そして実際の実行に当たっては内閣府をはじめとした実行組織の中で制度型リーダーシップを持った人間が力を発揮したのだろう。

翻って自分の会社内を考察すると、そもそも組織が常に変化し、新卒・中途・外国人が入り乱れる外資系企業においては組織型と人間関係型ではブレークスルーできないことがよくわかる。
やはり技術型とビジョン型の協業が必須だろう。

こうしてリーダーシップ論を分析してみると、自分の目指したいところが何となく見えてくる。
間違いなく今目指したい道は、技術型リーダーシップをメインとして少しビジョン型になることだ。
まずはしっかりとしたビジネスフレームワークと論理的思考を持ってProject業務にあたり、その遂行においては周りの人にビジョンを伝えられるようになれればと切に思う。
今後3年間の一つの中期目標だ。

こうやって自分が得た知識をかみ砕いてBlogに書くことで理解も深まるし、後から見て自分の考えも確認できるのは良いことだろう。
こういうBlogの使い方も、まあ悪くはないのでは。

最後に一気に話を変えるが、今日の阪神!!
いやー、桜井よーやった!
調子を落としているといえ、この時期に首位巨人を3タテというのは素晴らしい。
岡田監督はファンから見てもあなたのリーダーシップは何型かよく分かりませんが(間違いなく技術型ではない)、というかリーダーシップがあるのかどうかすらたまに疑問ですが、何とか若手を育てながら組織を盤石にして行ってほしいもんやな。


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マクドでマクロ [ちょっとまじめな話]

いや、これはすごい。きっと今から大きなパラダイムシフトが起こるに違いない。
何の話かって?それは、今日のマクドのニュースリリース。
あまりに衝撃的だったので、他に書こうとしてたことがあるけれどそれは次回に。

で、どんなニュースかというと、「マクドナルド地域別料金導入へ」というもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000018-mai-bus_all

単純にいうと、土地代や人件費が高い東京はメニューの料金を上げ、逆に地方は下げるというもの。
これを機に、小売業の世界は大きく変わっていくだろう。

まず考えられることは、いわゆる“卸”の存在価値の変化だ。
そもそも卸は、メーカーがすべてフォローしきれない小売店に対して中間的なハブの役割を担うものであり、その目的はサービスの均質化であるはずだ。
それが、もうこれからは地域別、収支別にサービス(価格もサービスの一部と考えると)自体が異なっていくとなると、そもそもの存在意義が大きく変わる。
変化に対応できない卸は、ビジネスを続けることができないだろう。

こういった流通チャネルが大きく変わるきっかけは、おそらく2つあるのではと思う。
一つは、規制の変化。
たとえば製薬業界では、平成3年頃までは、メーカーと卸と医療機関の間で何度も仕入れ値引きが恒常的に行われ、結果として本来公定価である薬の価格からは生じないはずである薬価差が生まれ、しかもそれが病院の大きな収益源となっていた。
それが、新仕切価制の導入で大きく流通改善が行われ、それ以後はメーカーのMRが情報提供・収集に専念し、卸のMS(Medical Marketing Specialist)が医療機関との価格交渉を一任することとなった。
そしてもう一つが、業界のリーディングカンパニーが自ら業界秩序の改革に乗り出すという、今回のようなパターン。
これは、競争戦略の観点からも、リーダー企業が取りうる最もチャレンジングで最も後発企業にとってはダメージの大きい戦略ではないかと思う。
普通、このような流通改革を起こすのは業界内外の非リーダー企業である場合が多い。
たとえば、文房具の世界でのアスクル。たとえば、PC業界のDELL。
それぞれソリューションはダイレクト販売という手法であったが、それによって先発企業の持っている小売店・卸・販売店といったチャネルを一気に資産から負債へ変え去ってしまった。
この競争戦略については、山田英夫の理論を踏まえて近いうちに色々書いてみたい。

今回のマクドの決断は、完全にファーストフード業界のリーダー企業であるマクド自身が自ら業界秩序を打ち破ったというところにあるのではないだろうか。

どこでも同じサービス、同じ価格。
それは、日本人が何の疑問もなく持っている共通認識ではないだろうか。
恐らく、社会保障制度による影響が大きいと僕は思う。
東京のど真ん中でも、北海道の最北端でも、受けられる公的サービスに基本的な差がないというのが日本の公的保障の根底にある考え方だ(どこでも、だれでも、いつでも)。
そして、サービスの質と価格が一定だからこそ、地域を超えた所得再配分機能が期待できる。
しかし、収支が合わないところは価格を上げて、儲かっている地域はもっと価格を下げる(もしくはサービスを充実させる)ということが当たり前になってくると、いかに生活に影響があるのかが容易に想像できる。

そして、今回の価格調整幅を見ても、面白いことが想像できる。
まあこれは連想ゲームのようなものだが、結構こんなことをぼーっと考えていると通勤電車も楽しかったりする。

今回の記事でのマクドの価格調整幅は500円のセット価格で50円程度になるとのこと。
つまり、±10%ということ。
極端な話、外食産業全部がこの地域価格制に移行すると仮定すると、マクロ経済的にはどの程度のインパクトがあるのだろう。

まず、日本の外食産業の市場規模は確か約30兆円。
で、日本のGDPは現在約500兆円。
確か税収がそのうち約10%なので、50兆円。
税収のうち20%が消費税なので、消費税の総額は10兆円。
日本の国債発行額は約30兆円。

すると、外食産業が全部地域価格制に移行すると、±で20%の価格幅ができるということになり、30兆円×20%=6兆円、消費税の半分強のインパクト、つまり5%が7~8%になるのと一緒くらいのインパクトがあることになる。
こりゃ大変だ。
で、消費税の3倍はちょうど国債発行額と同じになる。
ということは、±10%なので価格を上げるところだけ国債発行額の穴埋めに充てると、約半分をカバーできることになるんだな。

で、もし自分が税に関する全てを決められる権限があったとしたら、まず全国で基準価格を設けて、それよりも高く設定した価格に対しては差額の50%を地域価格差調整税として徴収できるとすれば、外食産業だけで国債発行額の25%を埋められるかもしれないわけだ。
おー、これって結構いい政策じゃないの?だって価格が上がるのは大都市だから、地方は痛まないし。

と、とりとめもなく書いてしまったが、よくこんなことを歩きながら考えてたりする。
妻には「はい、ぼーーーっと歩かない!」っていっつも怒られるんだが・・・。
ただ、こういったマクロな視点はマーケティングとしては絶対に必須で、しかも日々積極的に考えようとしなければ身につけられない感覚だと思う。
大観をもって、数字を作れるセンス、そういうのを磨きたいなあ。

で、全然関係ないが、パリと言えばいつもこれを思い出してしまう。
高校時代に見て以来、パリ=これになっちゃってるんだな。
空耳アワー、最高。
↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=mTs3R7K2xfQ&mode=related&search=


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Flavor of Life [ちょっとまじめな話]

マーケティングミックス、3C分析にPEST分析、経済学的発想と会計学的観点、QDCコントロールにPMBOK、ガントチャートとマイルストーン管理、損益分岐点と限界利益率、MECEとロジカルシンキング、コンピテンシー評価にコーチングスキル、行動経済学と古典派経済学、演繹法と帰納法、社会科学哲学と自然科学、統計学にカスタマーリサーチ、パレートチャートとシグマ値、SIPOCとフローチャート、RoIと費用便益分析、競争戦略とコトラーのマーケティングマネジメント、当局折衝とコーポレートガバナンス、関連法案とコンプライアンスの遵守、ミクロの視点とマクロの視点、データ分析スキルと数字を作る感性、理論とひらめき・・・根性、熱意、メンタリティ、そして人と人。

ビジネスの世界で、サービス・財を売る・作るために身につけておくべきことは枚挙に暇がない。
ただし知識を単に知っているだけでは、付加価値は生まれない。
理解するということと、正しく考えるということ。
もちろん誰でも毎日考えて毎日悩んでいるわけだが、本当の意味で問題解決に向かって考えられているかどうかも、単に「うーん」と言えば良いわけではない。

そして、どんな論文やビジネス書、MBA系テキストを読んでも、そういったスキルを習得していない、それどころかビジネスフレームワークに価値観を見出していない人に囲まれながら、彼らと共に時間とリソースを最大限有効活用して問題解決を図っていく術を目的共有するための解を教えてはくれない。
であれば、頭でっかちになるだけの知識を学ぶことは必要ないのかというと、それは違う。
人生において時間は限られているわけで、しかもビジネスパーソンとして経済価値を産出できる時間は極めて限定的である。

ストイックに生きるのか、力を抜いて楽しむのか。

本当は別に書きたいことがあるが、もう少しだけ先延ばしにしたい。
ま、週末には書こうかな、と。


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人間万事 塞翁が馬 [ちょっとまじめな話]

最近ちょっと涙腺がゆるい。
ここしばらく肉体的・精神的に切羽詰まった状況がもう1ヶ月半ほど続いているので、フッとその緊張感が途切れる瞬間が訪れた時に、いろんな感情や想いが決壊したダムの水のように堰を切って流れ出そうになる感覚である。

でもそれは、悲しいからではなく、仕事に対する想いや家族に対する想い、自分のこれまでの道程に対するものであったりする。

今日連載を終えた、ダイキン工業会長井上氏が日経新聞の『私の履歴書』に執筆した文章の中で印象に残ったフレーズがある。

「経営者に求められる資質とは何か。わたしには持論がある。経営者には美しいものを見たり聞いたらしたときに心底感動する人が多い。美しい音楽を聴いて、あるいは心温まる話を聞いて感動する感受性がなければリーダーとしては成功しないようだ。」

他の経営者や有識者と比べるとどこか垢抜けない感じの連載ではあったが、その分人柄と考え方が違和感なく伝わる連載であった。
僕は経営者でもなければマネージャーでもないわけだが、何となく井上氏が言わんとしていることはわかる気がした。

いたずらに年次を経ると、何かにつけてちょっと斜に構えてみたり、うがった見方から入る人の多いこと。
まるで、物事を真正面から受け止めないことが何かのアイデンティティになっているかのように見える人も少なくない。

でも、素直に感動することは感動して、聞き入れるべきことは聞き入れて、異論があるときは直接自分の考えを伝えて、何事にも真摯に向き合う姿勢こそが人生や価値観を研鑽するための一番の研磨剤になるのではないだろうか。

今、いろんな意味でキツイ状況にあったりするが、そんな気持ちを忘れずに日々過ごしていきたい。

同じ日経新聞の連載というところでは、マックス・ウェーバーの有名著書、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関するコラムがあるが、まさにマックス・ウェーバーも彼の著書の中で言わんとしてきたことは、「プロテスタンティズムという倫理感=禁欲的な自己規律に基づく心的態度」が実資本主義経済に寄与した影響度合いを宗教学という側面から分析したものであり、非常に興味深い。
彼の統計的な分析手法の原点には必ずしも論理的ではない部分も見受けられるが、時代の中で大勢を占めた群衆の価値観・倫理観を経済指標の一つとして仮定を設定し、反駁していくという展開は面白い。

人間結局、心の持ちようなんだろうな。


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